『デッドマン・ウォーキング 』 1995年アメリカ
【DEAD MAN WALKING】

監督 :ティム・ロビンス
原作 :シスター・ヘレン・プレイジョーン 『Dead Man Walking』

俳優:スーザン・サランドン
   ショーン・ペン
   ロバート・プロスキー
   レイモンド・J・バリー
   R・リー・アーメイ
   スコット・ウィルソン

■1996年第68回アカデミー賞主演女優賞-スーザン・サランドン
■1996年第46回ベルリン国際映画祭主演男優銀熊賞-ショーン・ペン/全キリスト協会審査員賞・作品賞
■1996年第11回インディペンデント・スピリット賞主演男優賞-ショーン・ペン
■1996年映画俳優組合賞主演女優賞-スーザン・サランドン
■1996年日刊スポーツ洋画大賞受賞

<ストーリー>

カトリックのシスター、ヘレン・プレイジョーンはある死刑囚から文通相手になってほしいと依頼される。囚人はマシュー・ポンスレット。10代のカップルを惨殺した容疑で死刑を求刑されていた。ヘレンは文通を始め、面会を重ねるうちに、死刑におびえながらも、なお無実だと言い張る男に心をつき動かされるようになる。だが、反省のそぶりも見せないマシュー。マシューの家族、被害者の遺族や刑務官たちとの出会いに、ヘレンは神に仕える者として、1人の人間として、悩みをさらに深めた・・・。
犯した罪を認めなければ、彼は法的にではなく、キリストの御許に往くものとして救われい・・・・。死刑執行のそのときまで、ヘレンはマシューに付き添う覚悟を決める・・・・。

<感想>
《デッドマン・ウォーキング》とは、独房を出て処刑場に最期の歩みを運ぶ死刑囚のことを指す刑務所内の隠語らしい。
この映画は、死刑反対を声高に叫ぶものでも、死刑は正義だと主張するものでもない。答は出るはずもなく、観たものが、1人1人、自問すべきことである。
ティム・ロビンスの冷静な切り口、音楽をほとんど使わず、センチメンタルさを避けた手法はお見事。

死刑の直前まで、命のかけがえのなさも、死の恐ろしさも、生きる喜び(快楽の追求ではなく)も、そして、「愛」も知らなかった、知ろうとしなかった
マシュー。 死刑によってそれを知ることになろうとは、いたたまれない・・・・。
だが、命消える直前に、家族の「愛」を初めて真正面から確認し、被害者の家族の気持ちを知り、謝罪する。
最期の願いは、自分に「憎しみのない死を。」被害者の親に、「心の平和を。」
そして、「俺であれ、あなたたちであれ、政府であれ、人が人を殺すのは間違ってる。」
この言葉の重さよ・・・。

そして、実話であるこの話には、主犯格の男がもう1人いるのだが、彼は金があったため、有能な弁護士を雇い、陪審員を操作し、死刑は免れ、無期懲役になっている。これも、考えねばならない現実の1つだろう。「死刑囚は貧乏人だ。」
これについては、同じく死刑囚にまつわる映画「グリーン・マイル」や「ダンサー・イン・ザ・ダーク」を観た方なら、思い当たることであろう。

この映画、ハリウッド映画にありがちな二元論に終わっていないところが、評価の高い所以であろう。
被害者の家族の悲しみや憤り、世間から白眼視される死刑囚の家族の痛みをも公平に描きだす。
そのうえで、人を殺した者は自らの死をもって償うべきか?と静かに問いかけている。

ティム・ロビンス、スーザン・サランドン夫妻の協作で話題を呼んだ作品だが、さすが、監督と主演女優はまさに阿吽の呼吸。

凶悪なモンスターとして処刑されるのではなく、真正面から罪を認めたことで「あなたはこれで人間として死ねる。」そう、それこそが一筋の光。
キャッチコピーの、『その瞬間、誰よりもあなたは人間の顔をしていた』 心に響く言葉だった。

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