「メメント」
2002年11月12日『メメント』
[Memento]
2001年【米】 監督 :クリストファー・ノーラン
男優 :ガイ・ピアース
:ジョー・パントリアーノ
女優 :キャリー・アン・モス
脚本 :クリストファー・ノーラン
<ストーリー>
10分前の記憶が消えてしまう!愛する妻をレイプされ殺されたショックで、短時間しか記憶を保てない前向性健忘という珍しい記憶障害となるレナード。
妻の復讐を誓った彼は、ポラロイド写真に書き込んだメモと 全身に彫った刺青を手がかりに犯人を探し出そうとする。キーワードは《ジョン・G》。
しかし、謎を追えば追うほどに、更なるが・・・。はたして、レナードは犯人を探し出し、復讐を果せるのだろうか・・・
物語はラストシーン(といっても結末というよりも、映画で描かれる主人公の最後の行動)から始まり,レナードの記憶同様,10分ごとにフラッシュ・バックする構成。時制が短いタームで巻き戻され,しかも,物語が進む(戻る)。
<感想>---ネタバレなし編---
この脚本は、映画のために執筆されたものであり、
クリストファー・ノーランはまさに鬼才!
観客を最後まで謎で振りまわし、ラストに一瞬、「真実」をチラつかせて終わるあたり、「ユージュアル・サスペクツ」に匹敵する面白さ。
冒頭のフィルム(=正しい時間)の巻き戻しや、
古い時間をモノクロで、今をカラーで、という手法も面白いし、わかりやすい。
さて、この映画は、観客の「記憶力」を試す謎解き娯楽作(監督も、何度も見てもらえる作品にしたかったと)であると同時に、大変にシリアスなテーマも孕んでいる。
「メメントmemento」の第一義は「形見、思い出の品」。そして、「記憶」。
人は、何故、「記憶」にすがる?世界は、目を閉じた外側に本当に存在するのか、今、見ているものは、感じていることは、「リアル」か?そういう不安を感じないことは、人間ならないはずだ。
まさに、「世界の感触、手触り」を求めて、私たちは忘れないように・・記憶を留めておこうと必死になる。
この作品は、「記憶」とは何なのか、1つの寓話をモチーフに、観客に問いかけている。
-------以下、ネタバレ要素強し----------
さて、すでに映画を観た方向けに、感想を。
謎解きに関しては、ここで書く必要はないと思われるので省きます。
かなり始めのほうで、「何故、警察は協力してくれないのか」という話題のときに、明確に、「犯人は存在しないと言い張るんだ」とレナードが答えています。ここで、実は読めてしまいました・・・。
時効を過ぎてお蔵入りした事件ならいざ知らず、警察が捜査していない、というのはやはりオカシイ。
そして、「ひそかに協力してくれる刑事」ときたところで、記憶が消えるレナードを誰かが利用している、と思ってしまいますよね。
でも、気になったのはその点くらいで、謎解きものとしては非常によくできています。
レナードは,自分が記憶を保てないことを逆手に取って、忘れてしまいたいこと、都合の悪いこと(頭が混乱することも含め)は意識的に「記録」を改変したり葬ったりしてしまう。
ポイントは、ここ。
人は,嫌なことは忘れたい。いい思い出は美化したい。多かれ少なかれ,自分の記憶を都合のいいように修正して生きていく。レナードのいうように「記憶」は「リアルでない」ものなのかもしれない。そして偽りないリアルなはずの「記録」すらも、ソレが人が作成したものである以上・・・。
「リアルが危ない」このキャッチコピーの意味はそこにあると思っている。
レナードは、復讐を遂げたこと自体も、忘れてしまうのだ。体中の刺青が、彼の目に映る間、そう、死ぬか視力を失うまで、永遠に、もう存在しないジョン・Gなる人物を捜し続けるのだ・・・なんとやるせない・・・。彼の魂に安息は訪れないのか・・・・。
現実的に考えれば、殺人罪で遅かれ早かれ逮捕され、最後は「まさにサミーとして」精神病院か刑務所内の病院かに収容されて一生を過ごすのかもしれないのだが・・・。
余談だが、映画のあとから日本で出版された「別の解釈」=レニーは二重人格という説 は、
テーマ「記憶」がブチ壊しになるので、私は納得いかなかった。
[Memento]
2001年【米】 監督 :クリストファー・ノーラン
男優 :ガイ・ピアース
:ジョー・パントリアーノ
女優 :キャリー・アン・モス
脚本 :クリストファー・ノーラン
<ストーリー>
10分前の記憶が消えてしまう!愛する妻をレイプされ殺されたショックで、短時間しか記憶を保てない前向性健忘という珍しい記憶障害となるレナード。
妻の復讐を誓った彼は、ポラロイド写真に書き込んだメモと 全身に彫った刺青を手がかりに犯人を探し出そうとする。キーワードは《ジョン・G》。
しかし、謎を追えば追うほどに、更なるが・・・。はたして、レナードは犯人を探し出し、復讐を果せるのだろうか・・・
物語はラストシーン(といっても結末というよりも、映画で描かれる主人公の最後の行動)から始まり,レナードの記憶同様,10分ごとにフラッシュ・バックする構成。時制が短いタームで巻き戻され,しかも,物語が進む(戻る)。
<感想>---ネタバレなし編---
この脚本は、映画のために執筆されたものであり、
クリストファー・ノーランはまさに鬼才!
観客を最後まで謎で振りまわし、ラストに一瞬、「真実」をチラつかせて終わるあたり、「ユージュアル・サスペクツ」に匹敵する面白さ。
冒頭のフィルム(=正しい時間)の巻き戻しや、
古い時間をモノクロで、今をカラーで、という手法も面白いし、わかりやすい。
さて、この映画は、観客の「記憶力」を試す謎解き娯楽作(監督も、何度も見てもらえる作品にしたかったと)であると同時に、大変にシリアスなテーマも孕んでいる。
「メメントmemento」の第一義は「形見、思い出の品」。そして、「記憶」。
人は、何故、「記憶」にすがる?世界は、目を閉じた外側に本当に存在するのか、今、見ているものは、感じていることは、「リアル」か?そういう不安を感じないことは、人間ならないはずだ。
まさに、「世界の感触、手触り」を求めて、私たちは忘れないように・・記憶を留めておこうと必死になる。
この作品は、「記憶」とは何なのか、1つの寓話をモチーフに、観客に問いかけている。
-------以下、ネタバレ要素強し----------
さて、すでに映画を観た方向けに、感想を。
謎解きに関しては、ここで書く必要はないと思われるので省きます。
かなり始めのほうで、「何故、警察は協力してくれないのか」という話題のときに、明確に、「犯人は存在しないと言い張るんだ」とレナードが答えています。ここで、実は読めてしまいました・・・。
時効を過ぎてお蔵入りした事件ならいざ知らず、警察が捜査していない、というのはやはりオカシイ。
そして、「ひそかに協力してくれる刑事」ときたところで、記憶が消えるレナードを誰かが利用している、と思ってしまいますよね。
でも、気になったのはその点くらいで、謎解きものとしては非常によくできています。
レナードは,自分が記憶を保てないことを逆手に取って、忘れてしまいたいこと、都合の悪いこと(頭が混乱することも含め)は意識的に「記録」を改変したり葬ったりしてしまう。
ポイントは、ここ。
人は,嫌なことは忘れたい。いい思い出は美化したい。多かれ少なかれ,自分の記憶を都合のいいように修正して生きていく。レナードのいうように「記憶」は「リアルでない」ものなのかもしれない。そして偽りないリアルなはずの「記録」すらも、ソレが人が作成したものである以上・・・。
「リアルが危ない」このキャッチコピーの意味はそこにあると思っている。
レナードは、復讐を遂げたこと自体も、忘れてしまうのだ。体中の刺青が、彼の目に映る間、そう、死ぬか視力を失うまで、永遠に、もう存在しないジョン・Gなる人物を捜し続けるのだ・・・なんとやるせない・・・。彼の魂に安息は訪れないのか・・・・。
現実的に考えれば、殺人罪で遅かれ早かれ逮捕され、最後は「まさにサミーとして」精神病院か刑務所内の病院かに収容されて一生を過ごすのかもしれないのだが・・・。
余談だが、映画のあとから日本で出版された「別の解釈」=レニーは二重人格という説 は、
テーマ「記憶」がブチ壊しになるので、私は納得いかなかった。
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