「エイミー」

2002年11月13日
『エイミー』【Amy】1997年・オーストラリア
監督◆ナディア・タス
出演◆アラーナ・ディ・ローマ
   レイチェル・グリフィス
   ベン・メンデルソン
   ニック・バーカー

<ストーリー>
人気ロックシンガーだったパパがライブ中に事故死するのを目の当たりにしてから、トラウマによりエイミーは話すことも聞くこともできなくなってしまった。母と祖父と、田舎で暮らしていたエイミーだが、母が聾唖学校に行かせないことを理由に、彼女を母親から引き離し、施設に入れようとする児童福祉局の職員から逃れるため、メルボルンの下町,マーサー・ストリートへ引越してくる。そこで暮らす、売れないミュージシャンの青年との出逢いが、エイミーに笑顔を取り戻させるのだが・・・・・。

<感想>
社会の袋小路のような路地に暮らす、荒れた人々の心に明かりを灯す,9歳の少女の物語。
「ミュージカル」として捉えて観たほうが、違和感なくストーリーに集中できる。
実は、そう捉えないと、エイミーの圧倒的な歌唱力がリアリティーを欠いてしまうからなのだ。
普通のいわゆる「映画」ならば、もっと子供らしいまっすぐな歌声の子のほうがきっと感情移入しやすいだろう。だが、ラストシーンが印象的だが、非常に「舞台的」な作品であることを、素直に評価していいと思う。
アメリカンハリウッド的な「リアリティ」にはない
美しさが、この作品にはある。

映画の評価で1つ気になるのは、行方不明になったエイミーを夜中に懸命に探してくれる住民たちの中で、頑固婆さんと、精神病の女性(ロバートの姉)が唐突に協力的になったのが、端折りすぎのように感じた。このあたり、細かい説明は省く「舞台的」脚本なのかな、とも思う。

だが、エイミーが過去のトラウマから解き放たれるシーンは、素直に感動!目頭が熱くなった。
ラストの、゛Thanks for looking for me everyone!” 初めて、子供らしい満面の笑みが見られるハッピーエンド。これを見て、ホっとしない大人はいないだろう。

そして、この映画の本当のハッピーは、彼女が話せるように、聞こえるようになったことではなく、彼女の母親が、娘と真正面から向き合えるようになったこと、そこであろう。
エイミーが、四年間の沈黙を破って、歌を通してのコミュニケーションが可能になったということを喜ぶよりはむしろ、普通に会話ができないことを致命的な欠点と考えて、心理学者巡りをするくだりは、
まさに自分のための行為であり、彼女が自分の喪失感で手一杯なことに哀れみを感じた。
実際、一日中、家に閉じ込めておくことからして、
「心を開け」というほうが無理であるが、母親はそれに気付かない。エイミーは、過去の呪縛にだけでなく、母親によっても縛られてしまっていたのだ。
そのすべてに気付く、タクシーの中での母親のあの涙は、バックに流れる音楽と、美しい景色とあいまって、とても印象的だった。




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