「レオン/完全版」
2002年11月22日レオン(完全版) 1996年米
【LEON】
監督・脚本:リュック・ベッソン
撮影:ティエリー・アルボガスト
音楽:エリック・セラ
出演:ジャン・レノ
ナタリー・ポートマン
ゲイリー・オールドマン
ダニー・アイエロ
<ストーリー>
ニューヨークのリトル・イタリー。
中年男レオンは、殺しのプロフェッショナル。イタリアンレストランのオーナーとマフィアのボスの二足のワラジを履く男に雇われている。
1日2パックのミルクとハードなトレーニングを欠かさず、自分と同じ様に根を張ることのない
鉢植えの観葉植物だけを唯一の友とし、“女と子供は殺らない”というルールを守り続ける男。
ある日、レオンのもとに、アパートの隣人である12歳の少女マチルダが助けを求め逃げ込んでくる。
悪徳麻薬取締官スタン一味に家族を虐殺され、助かったのは外出中だった彼女1人だたのだ。父にも継母にも義姉にも虐待されていたマチルダだったが、唯一の心の慰めだった可愛い4歳の弟を殺され、復讐に心をたぎらせる。レオンの正体に気付き、父の隠し金2万ドルでレオンにスタン一味の殺害を依頼するマチルダ。だが、レオンは「相手がヤバすぎる」と渋って引き受けない。それなら殺しを私に教えてと迫る少女にレオンは根負けし、とりあえずしばらく彼女を匿いながら、武器の扱いを教え、共にトレーニングや仕事をすることに。
喜怒哀楽めまぐるしい少女に振りまわされ、レオンは、十数年以上忘れていた、人間らしい感情が
芽生えていくのを感じずにはいられなかった。
だが、それは殺し屋としての道に漆黒の影を投げかけていくのだった…。
<感想>
もともとこの作品は、『ニキータ』に登場した“掃除屋”ヴィクトールの役柄に惚れ込み、ジャン・レノのためにリュック・ベッソンが書き下ろしたそうだ。彼が主演だったから、監督の意図した「凶愛」が表現されたのだ。
精密な殺人マシーンのような陰鬱なレオンに、「表情」をもたらす少女。ナタリー・ポートマンは13歳でオーディションで選ばれたそうだ。幼い外見に、大人の女性のような蔭りと色香が見え隠れする。マチルダ役は、愛らしいだけの少女ではダメだ。まさに適役であり、名演といえよう。
二人の間で交わされる「愛」は複雑だ。
マチルダの思慕の念は恋に近い。彼女にとっても、
生まれて初めての「守ってくれる大人の男性」だった。夢中になるのは自然なことだろう。
ナタリー自身は、マチルダのことを、「体は子供でも心は大人」と意識して演じていたようだが、やはり、いくら背伸びをしても届かない哀しさと健気さがマチルダの魅力に思える。
レオンの揺れ動く感情はかなり微妙である。
一番最初に助けを求めるシーン(このときのナタリーの演技はすごい)で、何故、彼はドアを開けたのだろう。あの瞬間から、レオンに「情」が蘇ったのだ。
殺し以外の理屈にはヨワいレオンが、少女に理責めで説得されてしまうあたり、この作品の魅力。
守ってあげたい、という言葉は恐らく不適切で、
今までの人生と命をひきかえにしても、守らねばならない存在になっていく、その心の動きがドラマなのだ。同情で人生は賭けられない。
人間らしい喜怒哀楽を取り戻したレオンにとって、
マチルダを見捨てることは、再び人間性を棄てることと同じなのだ。
「愛してる」この痛みすら感じるレオンのセリフ。
単純な恋愛のLOVEではない、すべてが昇華した
「純愛」がそこにある。
だが、凶暴な純愛は、暴力によって育まれ、暴力によって消え去る・・・。
ラストの哀しくも安らかなシーン。涙が止まらなかった。欲をいえば、ラスト、校長室から先は、セリフは邪魔だったように思う。
ところで、完全版で追加されているのは、以下のシーン。☆レオンが殺し屋になったいきさつ ☆2人で殺しのトレーニングをするシーンを大幅にUP
☆マチルダの愛の告白に心が揺れるレオンの描写
子供に銃を持たせるシーンには、いろいろ批評もあったようだが、この作品では、欠かすことができないシーンだ。
なぜって、レオンは銃の扱いを教えることでしか、
マチルダの「心」を救えないと知っていたからだ。
19歳だった頃の自分と同じに・・・・・・・。
破壊的で哀しいだけではないラストにベッソン監督のセンスが光る。
根を張るのはレオンの魂。陽の光を浴びて伸びゆくであろう枝葉は少女の未来の象徴なのだ。
【LEON】
監督・脚本:リュック・ベッソン
撮影:ティエリー・アルボガスト
音楽:エリック・セラ
出演:ジャン・レノ
ナタリー・ポートマン
ゲイリー・オールドマン
ダニー・アイエロ
<ストーリー>
ニューヨークのリトル・イタリー。
中年男レオンは、殺しのプロフェッショナル。イタリアンレストランのオーナーとマフィアのボスの二足のワラジを履く男に雇われている。
1日2パックのミルクとハードなトレーニングを欠かさず、自分と同じ様に根を張ることのない
鉢植えの観葉植物だけを唯一の友とし、“女と子供は殺らない”というルールを守り続ける男。
ある日、レオンのもとに、アパートの隣人である12歳の少女マチルダが助けを求め逃げ込んでくる。
悪徳麻薬取締官スタン一味に家族を虐殺され、助かったのは外出中だった彼女1人だたのだ。父にも継母にも義姉にも虐待されていたマチルダだったが、唯一の心の慰めだった可愛い4歳の弟を殺され、復讐に心をたぎらせる。レオンの正体に気付き、父の隠し金2万ドルでレオンにスタン一味の殺害を依頼するマチルダ。だが、レオンは「相手がヤバすぎる」と渋って引き受けない。それなら殺しを私に教えてと迫る少女にレオンは根負けし、とりあえずしばらく彼女を匿いながら、武器の扱いを教え、共にトレーニングや仕事をすることに。
喜怒哀楽めまぐるしい少女に振りまわされ、レオンは、十数年以上忘れていた、人間らしい感情が
芽生えていくのを感じずにはいられなかった。
だが、それは殺し屋としての道に漆黒の影を投げかけていくのだった…。
<感想>
もともとこの作品は、『ニキータ』に登場した“掃除屋”ヴィクトールの役柄に惚れ込み、ジャン・レノのためにリュック・ベッソンが書き下ろしたそうだ。彼が主演だったから、監督の意図した「凶愛」が表現されたのだ。
精密な殺人マシーンのような陰鬱なレオンに、「表情」をもたらす少女。ナタリー・ポートマンは13歳でオーディションで選ばれたそうだ。幼い外見に、大人の女性のような蔭りと色香が見え隠れする。マチルダ役は、愛らしいだけの少女ではダメだ。まさに適役であり、名演といえよう。
二人の間で交わされる「愛」は複雑だ。
マチルダの思慕の念は恋に近い。彼女にとっても、
生まれて初めての「守ってくれる大人の男性」だった。夢中になるのは自然なことだろう。
ナタリー自身は、マチルダのことを、「体は子供でも心は大人」と意識して演じていたようだが、やはり、いくら背伸びをしても届かない哀しさと健気さがマチルダの魅力に思える。
レオンの揺れ動く感情はかなり微妙である。
一番最初に助けを求めるシーン(このときのナタリーの演技はすごい)で、何故、彼はドアを開けたのだろう。あの瞬間から、レオンに「情」が蘇ったのだ。
殺し以外の理屈にはヨワいレオンが、少女に理責めで説得されてしまうあたり、この作品の魅力。
守ってあげたい、という言葉は恐らく不適切で、
今までの人生と命をひきかえにしても、守らねばならない存在になっていく、その心の動きがドラマなのだ。同情で人生は賭けられない。
人間らしい喜怒哀楽を取り戻したレオンにとって、
マチルダを見捨てることは、再び人間性を棄てることと同じなのだ。
「愛してる」この痛みすら感じるレオンのセリフ。
単純な恋愛のLOVEではない、すべてが昇華した
「純愛」がそこにある。
だが、凶暴な純愛は、暴力によって育まれ、暴力によって消え去る・・・。
ラストの哀しくも安らかなシーン。涙が止まらなかった。欲をいえば、ラスト、校長室から先は、セリフは邪魔だったように思う。
ところで、完全版で追加されているのは、以下のシーン。☆レオンが殺し屋になったいきさつ ☆2人で殺しのトレーニングをするシーンを大幅にUP
☆マチルダの愛の告白に心が揺れるレオンの描写
子供に銃を持たせるシーンには、いろいろ批評もあったようだが、この作品では、欠かすことができないシーンだ。
なぜって、レオンは銃の扱いを教えることでしか、
マチルダの「心」を救えないと知っていたからだ。
19歳だった頃の自分と同じに・・・・・・・。
破壊的で哀しいだけではないラストにベッソン監督のセンスが光る。
根を張るのはレオンの魂。陽の光を浴びて伸びゆくであろう枝葉は少女の未来の象徴なのだ。
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