「ブラス!」

2002年12月6日
ブラス! 【Brassed Off】 1996年【英・米】
監督・脚本:マーク・ハーマン
音楽:トレバー・ジョーンズ
俳優:ピート・ポスルスウェイト(ダニー)
   ユアン・マクレガー(アンディ)
   タラ・フィッツジェラルド(グロリア)
   スティーブン・トンプキンソン(フィル)
★1997年東京国際映画祭審査員特別賞受賞作品

<ストーリー>
1992年、イングランド北部の炭鉱町グリムリー。ここも炭鉱閉鎖の波が押し寄せ、閉山反対闘争に男達だけでなく、妻たちも抗議運動に必死だ。
この町には伝統あるプラスバンド「グリムリー・コリアリー・バンド」がある。仕事を終えた炭鉱労働者はそれそれに楽器を抱え、稽古場へと急ぐ。生活が不安な妻たちに音楽どころじゃないだろうにと嫌味を言われながら・・・。バンド存続のためのカンパ金も食い詰めて出せず、失業の恐怖からやる気がなくなっているのは男たちとて同じだった。だが、リーダーで指揮者であるダニー老人の音楽にかける熱意は炎のようで、沈んだ町にふたたぴ希望と活気を呼びもどすべくプラスバンドの全英選手権で初優勝をかち得るのが悲願だ。そんなダニーを前に、皆、なかなか辞めると言い出せず、ギクシャクとした空気が稽古場を包んでいた。
そんなとき、ダニーの親友の孫娘グロリアこの町に戻ってき
て入団することに。彼女は美人で演奏も素晴らしく、男どもは俄然やる気を出す。ことに、10代の頃彼女に恋していたアンディは瞳を輝かせる。様々な経済的な問題を抱えつつも、ついに準決勝まではたどり着いた彼らであったが、喜び勇んで凱旋した彼らを待っていたニュースは、組合の敗北。
皆失業、ダニーは炭塵を吸った肺の病気が悪化して入院、さらに、希望の光だったグロリアが、実は閉山を策す会社側の職員であることがバレてしまい、バンドは解散以外の道を見出せなくなる。
ダニーの息子、フィルは悩む。自宅は差し押さえられた。妻は子供4人を連れて去った。父にはバンド解散を告げねばならない・・・でも言えない。苦悩の末、世を儚んで命を絶とうとすら・・・。
そこへ、一度は追われるように皆の元を去ったグロリアが再び姿を現した。彼女が男たちに差し出したものは------。

<感想>
イギリス映画には人情味がある。『リトル・ダンサー』 『フル・モンティ』 と観てきて、この『ブラス!』 。極めて、日本人の感覚に近い“センチメンタリズム”=《湿り気》 が映画を支配しているのである。心地よい、馴染んだ感動を味合わせてくれる。ハリウッドのドライでクールな雰囲気とは確実に異なる感覚だ。

具体的にいえば、イギリス人には歯をくいしばる“頑張リズム”を誉れとする性質があり、そこが日本的だと思うのだ。“根性”と“義理”が重んじられる社会には共感を持てる。

悲惨な方向へと雪崩のように状況が落ちこんでいく中で人間が生きるためには、取捨選択をし、何は1つだけ、いちばん大切なものを採らねばならない。
窮すれば窮するほど、救いはメンタルな方向に向かうものだろう。

この映画のリアリティは、男たちがいつまでも「揺れ続ける」ところだ。食えなくてもいい、名誉のために優勝目指して一直線!! ・・・というアメリカン・ドリームはここにはない。
「もうダメだろう。いや、もうちょっと頑張ってみよう。ああやっぱりもうダメだ。だけどなんとか方法はないか。やっぱり無理か・・・。でもできるかも。いや、考えるだけ無駄だ。チクショウ、どうしたらいいんだ。ダメもとでやるしかないか?いや、やってやるぞ!」
こうして、延々と自問自答を繰り返し悶々と悩んで決心をつける。これこそが、人間というものだ。

この映画には、名シーンが数多い。
なんといっても、入院しているダニーのために、これが最後、と決めて炭坑で使っていた
キャップランプで楽譜を照らし、アイルランド民謡「ダニー・ボーイ」を病院の庭で演奏する
シーンは涙なしには観られまい。楽器を手放してしまったアンディが口笛で参加している姿に
一層、胸が震える。

そして、家出したフィルの妻と子供の会話。
「人は幸せに死ねるの?」(おじいちゃん=ダニーのこと)
答えられない母親。
「悲しそうなお父さんはイヤだ。でも、お父さんに逢えないのはもっとイヤだ。」


そして、ピエロのアルバイトで教会を訪れたフィルが心のたけをキリスト像に
ぶつけるシーン。
「あんたは俺たちになにもしてくれないじゃないか。してくれる気があるなら、
どうしてジョン・レノンを殺した!若い坑夫を二人も死なせたのか!
なぜサッチャーだけが生きている!」 カメラが映すキリストの像は、静かに
悲しげな眼差しをたたえている・・・・。


そして、言うまでもなくラスト、決勝で「威風堂々」を息を飲むような魂のこもった演奏で披露する団員たちと、ダニーのかわりに指揮をするハリーの燃えるような采配ぶり。
(ちなみに、この映画は実在の全英一の人気楽団、グライムソープ・コリアリー・バンドをモデルにした作品であり、演奏シーンの音はすべてこのバンドが担当している。)

最後のダニーの演説・・・
I thought that music mattered. But does it? Bollocks! Not compared to how people matter.

「わたしは音楽こそが何より重要なのだと思っていました。だが、そうじゃない! 人間よりも
重要なものなんぞないのです。」


そう。音楽を演奏することが重要なのではない。演奏することができる人間こそが重要なのだ・・・。
その、大切な人間を、サッチャー政権は、ないがしろにしている。
「あなたがたはクジラやイルカの保護には立ち上がるが、我々の困難には手を貸さない」

それを聴いた聴衆から拍手がおこる。

この映画はいわゆる“ハッピーエンド”ではない。演奏が素晴らしかったからご褒美に炭坑の閉鎖が取りやめになるわけじゃない。心揺さぶる演奏をした団員たちは、現在、失業者なのだ。それが現実だ。

----だが、登りきれないと諦めていた山を、まずひとつ、力を合わせて頂上を極めた男達だ。彼らなら、目の前の壮絶な試練にも、歯をくいしばり、果敢にチャレンジして逞しく生き抜いていくに違いない--- そんな希望を、誰もが抱くに違いない。

素晴らしい作品に巡り合えてよかったと心から思う。

蛇足だが、原題のBrassed Off というのは、イギリスの俗語で
「もううんざり」という意味だ。ポスター等ではBRASS(金管楽器)になっているが、念のため英語で検索すると、この作品の正式なタイトルはやはりBrassed Off である。てっきりブラスバンドのブラスだと思いこんでいたが、日本で「ブラス!」と「!」をつけたのは、そういう含みがあってのことなのだろう。まったく、うんざりする世の中を生きぬかにゃならないのだ。でも、音楽Brassが俺たちにはあるさ、という洒落かもしれない。

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