「愛を乞うひと」

2002年12月10日
『愛を乞うひと』1998年・日
監督: 平山秀幸
脚色: 鄭義信
原作 :下田治美
撮影 :芝崎幸三
音楽 :千住明

俳優:原田美技子(照恵/母、豊子 二役)
   野波麻帆(照恵の娘、深草)
   中井貴一 (照恵の実父、陳 文雄)
   うじきつよし(照恵の弟)
★第22回モントリオール映画祭 国際批評家連盟賞受賞
★第22回 日本アカデミー賞 最優秀作品賞・最優秀監督賞・ 最優秀主演女優賞・脚本賞・撮影賞・編集賞・照明賞・美術賞

<ストーリー>
早くに夫を亡くし、娘の深草とふたり暮らしの照恵。彼女は、
娘が高校生になったある日、とある決心をする。それは、幼い頃に死んだ父、陳文雄の遺骨を探し出して弔うことだった。手掛かりをたどるうち、照恵の脳裏には忘れたくても忘れられない、母、豊子との日々の記憶が鮮明に蘇ってくる。

雨の中、父が母から自分を引き離した情景、父の死後、孤児院に預けられていた自分を迎えにきた母、そして新しい父、初めて会う弟
。そして赤ん坊の頃から続いていた母のまさに鬼のような折檻を。
そして、たった一度だけ、「髪を梳くのが上手いね」と褒めてもらったことも・・・・。

やがて照恵は、娘の深草に説得され、父の遺骨を探しに、父の故郷、台湾を訪れる。それは照恵にとって、かたくなに心を閉ざすあまり見失っていた“自分探し”の旅でもあった。台湾で心のかけらを取り戻し、日本に帰国後、父の遺骨も探し当てた照恵。
目的は達したものの、顔を曇らせたままの母照恵に、娘が言う。
「おばあちゃんに会いに行こうよ。あたし、調べたの・・・生きてるんだよ。」

<感想>
愛し方を知らずにひたすら暴力によって手に入らない愛を乞う母、愛され方を知らずにひたすら沈黙と作り笑いで愛を乞う娘。そしてその一人娘は乞わずとも愛し愛され、幸福に輝いている。
その三世代通じて映し出される母と娘の失われた愛を捜す物語。

気のむくままに理由もなく理不尽な虐待を繰り返す母親と、その暴力に心身ともに苛まれて育った娘。その対照的な二役を原田美枝子が見事に演じている。確かな血の繋がりを映像的に感じさせるための試みだとしたら、成功しているといえる。表情も話し方も何もかも対照的でありながら、垣間見せる寂しげな目だけは、同じ・・・。
お互いに愛を求めあっていたのに、どうにもならない母娘。

娘は力では母に対抗できず、ただの一人も、うわべだけ優しい継父も、母からは守ってくれない。自ら命を絶つ気力もない。
ただ力無く奇妙な作り笑いをうっすら浮かべるだけ・・・。赤ん坊は、母親に微笑みかけられ、「笑う」ことを覚えるものだが、照恵は母親から身を守るために、愛を乞うために、無理に微笑むことを
覚えてしまう。なんと皮肉で哀しいことか。

2人の継父の墓も探し出した。そこまでは、照恵が言うとおり、
「あの女(母)から奪われたものをすべて取り戻しつくす」、つまり復讐なのだろう。生死すら不明な母への復讐。母が奪ったいちばん大切なものは、照恵のアイデンティティだということだろうか。
女手ひとつで育てた娘が安心できるところまで成長して、やっと
我が身を振り返る余裕ができた・・・あるいは、無我夢中の子育てが一段落して心にポッカリ穴があいた・・・ちょうどそんな時期だったのだろう。娘の深草は健康そうに育ち、母親思いの優しい、しっかりした子だ。スクリーンでも、深草役の野波麻帆のガッチリした体つきや溌剌とした話し方や明るい笑顔が、どす黒い物語をとことんまで暗くさせず、救っている。
AC(アダルト・チルドレン)は自分も同じように虐待する母親になる確率が高いと言われているが、心に深い傷を負った照恵をこんな立派な母親にしたのは、どんな良い夫だったのだろう。まったく父不在のまま最後まで進んでしまうのが、心残りだった。

そして、物語の核となる、「父の遺骨を何がなんでも探し出すという決意」。それは何故なのか。この映画では、答を用意せず、観客にポンと疑問をなげかけている。その説明過剰でないところが、実にいい。
私の解釈は、「唯一、明確に愛を示してくれた存在」が実父であり、その確かな証拠--遺骨--そのひとが確かにこの世に存在していた証・・・をどうしても手にいれたかったのではないか、と。

ラストの母娘対面のシーンは戦慄が走った。涙々のご対面にはなりえないだろうとは予想していたが、張り詰めた空気にスクリーンに
目が釘漬けになった。

★心に残るセリフ  バスの中で夕日を背に照恵と娘
「可愛いよって言ってほしかった。」
「カワイイよ。」
「・・・バカ(微笑)。
 ・・・母さん、泣いてもいい?」
「いいよ」

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