「グリンチ」
2002年12月19日『グリンチ』【How the Grinch Stole Christmas】2000年・米
監督:ロン・ハワード
原作:ドクター・スース
脚本:ジェフリー・ブライス&ピーター・S・シーマン
特殊メイク:リック・ベイカー
音楽:ジェームス・ホーナー
俳優:ジム・キャリー(グリンチ)
テイラー・マムサン(シンディ・ルー・フー)
ジェフリー・タンバー (フー市長)
クリスティン・バランスキー(マーサ・フーヴィエ)
モリー・シャノン(ベティ・ルー・フー)
ビル・アーウィン(ルー・ルー・フー)
アンソニー・ホプキンス(ナレーション)
★本年度アカデミー賞特殊メイクアップ賞受賞
<ストーリー>
雪の結晶よりも小さく、すべての物が曲線で構成されている不思議で幻想的な街フーヴィル。世界で最もクリスマスを愛する者たち゛フー族”の住む場所。
父親ルー・フーと娘のシンディ・ルー・フーは家族と友人のためにクリスマスの贈り物をごったがえす店内で選んでいた。抱えきれないほどの買い物をする父親にやや呆れながら、シンディは、大人たちはなぜクリスマスにこれほど燃えるのか不思議でしかたなかった。
ちょうどその頃、誰も近づかない凍てついたゴミだらけのクランベット山から、下界の騒ぎを潜望鏡で苦々しく眺めている者がいた。その名はグリンチ。全身を緑色の毛に覆われ、普通の人の1/2の大きさの心臓(ハート)の持主で、悪戯好きのひねくれ者だ。
彼にはクリスマスを一緒に祝う家族も友人もなく、唯一の相棒である犬のマックスと洞穴に住んでいる。フーヴィルの大人たちは、グリンチの名を聞くのも嫌がる。グリンチはクリスマスを憎んでいるからだ。シンディも、フーヴィルのクリスマス狂騒曲には疑問を持っていた、そんな時、街に悪戯をしに来たグリンチとバッタリ遭遇。大怪我寸前のところを彼に救われ、本当は優しい人なのかも・・?と思うのであった。そこで、クリスマス千年祭の名誉会長に、市長ではなくグリンチを推薦するシンディ。
さて、いよいよクリスマスイブが近づく。グリンチは、死ぬほど嫌
いなクリスマスに今年こそ、カタを付けてやると、メラメラと怨恨の炎を小さなハートに燃やしていた・・・。グリンチがクリスマスを憎む理由は?フーたちは無事にクリスマスを迎えられるのか?
<感想>
ティム・バートンが,映画化を熱望したがかなわず「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス」を製作したという逸話を持つ、Dr.スース原作の絵本を忠実に実写化した作品。ピューリッツァー賞を受賞したDr.スースは現代のマザーグースといわれ、1957年に発表したこの絵本「グリンチはどうやってクリマスを盗んだか」は、世代を越え、全米の子供から大人までを魅了し、現在も語り継がれている寓話だ。
利発なシンディは「クリスマスはプレゼントのためにあるの?」と悩む。グリンチの「プレゼントは数日後にはゴミになって俺の住む山に捨てられる」という指摘は的を射ており、痛烈な皮肉だ。現代アメリカだけでなく、バブル以降の日本のクリスマスを考えると実に耳の痛い話ではないか。クリスマスにいちばん必要なことを考え直そう、 それがこの作品のテーマなのである。
50年も前に描かれたストーリーだが、常に人間の抱える問題は
同じなのかもしれない。
きりのない物欲についてはもちろん、容姿が原因で苛められた子供が成長して力を持つと、苛める側にまわるという根の深い問題、
そして、まさに゛引きこもり”であるグリンチ---。
だが、この映画では、グリンチの毒舌でそれらを辛辣に皮肉りながらも、とことん深刻には至らない。そこはロン・ハワードらしい。
それが良いか悪いかは、観客の年齢にもよるだろうし、好みにもよるだろう。私は「明」「暗」のバランスは丁度よかったように感じた。
あくまでも性善説に基づくこの寓話は、世の中には根っからの悪人なんておらず、どんなに意地悪に見える人でも、その心の中には優しい部分がひそかに息づいているものであり、それを周囲が引出してやるチャンスを与えさえすれば、どんな悪人も、愛し、愛されることが可能になる、そう語っているのだ。
゛赦し”゛寛大さ”゛優しさ”゛愛する家族や友と共有する濃密な時間”それこそがクリスマス。 宗教的なこと(キリストの誕生祝であるということ)は一切語られず、そこにやや疑問も残らなくはないのだが、いつのまにか異なる宗教の国々にも、「祭」「習慣」として広まった、この「特別な休日」の「起源的な意味」ではなく、「存在価値」を問いなおす、素晴らしい物語であるといえるだろう。
監督:ロン・ハワード
原作:ドクター・スース
脚本:ジェフリー・ブライス&ピーター・S・シーマン
特殊メイク:リック・ベイカー
音楽:ジェームス・ホーナー
俳優:ジム・キャリー(グリンチ)
テイラー・マムサン(シンディ・ルー・フー)
ジェフリー・タンバー (フー市長)
クリスティン・バランスキー(マーサ・フーヴィエ)
モリー・シャノン(ベティ・ルー・フー)
ビル・アーウィン(ルー・ルー・フー)
アンソニー・ホプキンス(ナレーション)
★本年度アカデミー賞特殊メイクアップ賞受賞
<ストーリー>
雪の結晶よりも小さく、すべての物が曲線で構成されている不思議で幻想的な街フーヴィル。世界で最もクリスマスを愛する者たち゛フー族”の住む場所。
父親ルー・フーと娘のシンディ・ルー・フーは家族と友人のためにクリスマスの贈り物をごったがえす店内で選んでいた。抱えきれないほどの買い物をする父親にやや呆れながら、シンディは、大人たちはなぜクリスマスにこれほど燃えるのか不思議でしかたなかった。
ちょうどその頃、誰も近づかない凍てついたゴミだらけのクランベット山から、下界の騒ぎを潜望鏡で苦々しく眺めている者がいた。その名はグリンチ。全身を緑色の毛に覆われ、普通の人の1/2の大きさの心臓(ハート)の持主で、悪戯好きのひねくれ者だ。
彼にはクリスマスを一緒に祝う家族も友人もなく、唯一の相棒である犬のマックスと洞穴に住んでいる。フーヴィルの大人たちは、グリンチの名を聞くのも嫌がる。グリンチはクリスマスを憎んでいるからだ。シンディも、フーヴィルのクリスマス狂騒曲には疑問を持っていた、そんな時、街に悪戯をしに来たグリンチとバッタリ遭遇。大怪我寸前のところを彼に救われ、本当は優しい人なのかも・・?と思うのであった。そこで、クリスマス千年祭の名誉会長に、市長ではなくグリンチを推薦するシンディ。
さて、いよいよクリスマスイブが近づく。グリンチは、死ぬほど嫌
いなクリスマスに今年こそ、カタを付けてやると、メラメラと怨恨の炎を小さなハートに燃やしていた・・・。グリンチがクリスマスを憎む理由は?フーたちは無事にクリスマスを迎えられるのか?
<感想>
ティム・バートンが,映画化を熱望したがかなわず「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス」を製作したという逸話を持つ、Dr.スース原作の絵本を忠実に実写化した作品。ピューリッツァー賞を受賞したDr.スースは現代のマザーグースといわれ、1957年に発表したこの絵本「グリンチはどうやってクリマスを盗んだか」は、世代を越え、全米の子供から大人までを魅了し、現在も語り継がれている寓話だ。
利発なシンディは「クリスマスはプレゼントのためにあるの?」と悩む。グリンチの「プレゼントは数日後にはゴミになって俺の住む山に捨てられる」という指摘は的を射ており、痛烈な皮肉だ。現代アメリカだけでなく、バブル以降の日本のクリスマスを考えると実に耳の痛い話ではないか。クリスマスにいちばん必要なことを考え直そう、 それがこの作品のテーマなのである。
50年も前に描かれたストーリーだが、常に人間の抱える問題は
同じなのかもしれない。
きりのない物欲についてはもちろん、容姿が原因で苛められた子供が成長して力を持つと、苛める側にまわるという根の深い問題、
そして、まさに゛引きこもり”であるグリンチ---。
だが、この映画では、グリンチの毒舌でそれらを辛辣に皮肉りながらも、とことん深刻には至らない。そこはロン・ハワードらしい。
それが良いか悪いかは、観客の年齢にもよるだろうし、好みにもよるだろう。私は「明」「暗」のバランスは丁度よかったように感じた。
あくまでも性善説に基づくこの寓話は、世の中には根っからの悪人なんておらず、どんなに意地悪に見える人でも、その心の中には優しい部分がひそかに息づいているものであり、それを周囲が引出してやるチャンスを与えさえすれば、どんな悪人も、愛し、愛されることが可能になる、そう語っているのだ。
゛赦し”゛寛大さ”゛優しさ”゛愛する家族や友と共有する濃密な時間”それこそがクリスマス。 宗教的なこと(キリストの誕生祝であるということ)は一切語られず、そこにやや疑問も残らなくはないのだが、いつのまにか異なる宗教の国々にも、「祭」「習慣」として広まった、この「特別な休日」の「起源的な意味」ではなく、「存在価値」を問いなおす、素晴らしい物語であるといえるだろう。
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