「乱」

2003年1月4日
『乱』【RAN】 1985年・日仏
監督:黒澤明
原作 W.シェイクスピア「リア王」
脚本 黒澤明・井手雅人
狂言指導 :野村万作
能作法指導(金春流):本田光洋
音楽 :武満徹
衣装:ワダエミ
キャスト
一文字秀虎 ................  仲代達矢
一文字太郎孝虎 ...............寺尾聰
一文字次郎正虎 ................根津甚八
一文字三郎直虎 ................隆大介
楓の方(太郎孝虎正室) .........原田美枝子
末の方(次郎正虎正室) .........宮崎美子
鶴丸(末の方弟) ...............野村武司
鉄修理(次郎正虎側近) .........井川比佐志
狂阿弥(秀虎臣) ...............ピーター
綾部政治(隣国領主) ...........田崎潤
藤巻信弘(隣国領主) ...........植木等

<ストーリー>
戦国武将、一文字秀虎は家督を三人の息子に譲り、優雅な余生を送ろうとする。が、その思惑とは裏腹に 上の兄二人の間で骨肉の争いが起こり秀虎は城を追放され、息子たちに裏切られた悲しみと、己の過去の残忍な行いの犠牲者たちの幻覚に怯えて正気を失い、道化の狂阿弥と荒野をさ迷う。たった1人、真の親思いであった三男は、自ら追放してしまった手前、顔向けができないと狂ってもなお
嘆く秀虎であった。国を我が物とした次男は策略家の正室(殺めた一郎の嫁・楓の方)に誑かされ、奢り昂ぶり、三郎をはじめ、近隣諸国領主綾部氏、藤巻氏をも滅ぼそうと出撃するが・・・・。
すべては秀虎に親家族を殺され長男に嫁がされた楓の方の、一文字家を滅ぼさんとする計略であったのだ。

<感想>
役者の演技や衣装に能の様式を大々的に取り入れ、映画全体を息をのむような圧倒的な様式美で統一している。
どこまでも陰惨な物語を、非日本的な眩い原色の衣装と、真夏だというのにクールに青い空、緑萌える草原、人間の鮮血よりも毒々しい蛍光を帯びた赤紫の血の海、雪よりも白い濃い霧で鮮烈に彩る監督のセンスは素晴らしい。芸術の国フランスや、米国のコッポラ監督が資金的に支援した理由がわかる。

クローズアップをほとんど使用しないカメラワークは、物語を平面的な「絵巻物」のようにも見せ、また、リア王がそもそも舞台で演じられるための作品であったように、「演劇的」な表現をとっているのも、能のイメージを大切にするためであろう。

シェイクスピア作品にはつきもので、日本の戦国時代にはなかったもの、《道化》を、ピーターがお付きの小姓という役回りに扮して印象深く演じている。シェイクスピアの用いる《道化》とは
異なる、黒澤オリジナルのキャラクターといえよう。セリフはリアのお抱え道化のものと「重要な」セリフはほぼ同じであるが、観客の心情を代弁するかのような体温を感じるセリフまわしで新鮮に感じた。

そして、有名な「三の城落城シーン」、これは、後にクロサワファンのスピルバーグ監督が『プライベート・ライアン』冒頭30分のノルマンディー上陸シーンでこの手法を真似ているが、(他にも、ちぎれた自分の体の一部を持って呆然とする兵士を描くなど)
一切の効果音を排し、ただ音楽のみで凄惨な戦闘を表現することによって、虚無感を見事に演出している。空っぽになった秀虎の心には何も聞こえてこないのだ・・・・・。

演出上の手法で、もう1つなるほど、と唸ったのが、「血」の扱いである。色彩のことは先に触れたが、同じように刃物や銃で死んでも、「血」を流して死んだ人物と、流さず生き絶えた人物いたことに気づいた。「血」は悪のメタファーであるのか、太郎、次郎、楓の方、裏切った腹心たちは血まみれに(あるいは返り血を浴び)。末の方(首がもげているのに血のない死体)、三郎、自害した秀虎の側室達は一滴の血も観客に見せないのである。そして、その血の色も、戦闘で兵士たちの流す人工的な血の色と、楓の方からほとばしったぬらぬらとした真っ赤な鮮血とは明らかに違っている。

もしも毛利元就の三人の息子が「三本の矢の教訓」に背いたら・・・。兄弟が血で血を洗う争いの末、父が一代で築いた
ものを奪い合い破壊していくさまを、シェイクスピアの「リア王」の三人の娘を息子に換え、時代と場所を日本の戦国時代に移し、描き出した物語である。
だが、リア王をそのままなぞってはいない。マクベス夫人よりもハムレットの母ガートルードよりも計算高く冷酷かつ救いようのない哀れな魔性の女、楓の方(原田美枝子)の復讐劇としての側面も物語に奥行きを持たせている。

リアよりも、深い苦痛と後悔<過去>を秀虎に与えることで、秀虎の心の乱れは複雑なものとなっている。
己の過去に復讐され滅ぶのだ・・・・。だが、この悲劇は秀虎のみのものではない。人間が人間であり続けるかぎり古今東西、誰かが何処かで味わい続けるであろう地獄なのだ。

人間はどこまでも愚かだ。その愚かさを哀れむ眼差しもこの作品には、ない。
無常と静かに対峙している---。
滅びの美しさというマイナスのカタルシスを与えられて観客は放り出される。「無常」をここまで突き詰めた作品が他にあるだろうか。

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