「幼なじみ」
2003年1月16日幼なじみ
【A LA PLACE DU COEUR】1998年・仏
★1998年サンセバスチャン国際映画祭審査員特別賞、最優秀脚本賞、OCIC賞、3部門受賞
監督:ロベール・ゲディギャン
原作:ジェームズ・ボールドウィン『ビール・ストリートに口あらば』 (集英社刊)
俳優:ロール・ラウスト(クリム)
アレクサンドル・オグー(ベベ)
アリアンヌ・アスカリド(クリムの母)
ジャン=ピエール・ダルッサン(クリムの父)
ジェラール・メイラン(ベベの父)
クリスティーヌ・ブリュシェール(ベベの母)
ジャック・ブデ(家主の老人)
ヴェロニク・バルム(ソフィ、クリムの姉)
ジャック・ピエレ(警官)
<ストーリー>
南仏の港町マルセイユ、夏。クリムは、今日も愛するべべに会いに行く。べべは、無実の罪で刑務所に拘留されていた。
今日は特別だ。おなかの中に新しい生命が宿ったことをべべに告げる、大切な日。
幼なじみの二人は、運命に導かれ、いつしか互いに恋をし、
16歳と18歳で結婚を決意した。若すぎる二人の決断に最初は戸惑いを隠せなかった家族も、真剣な二人を心から応援してくれるようになる。
ところが、二人で暮らし始めようとしていた矢先、近所の移民女性がレイプされ、べべが訴えられてしまう。どうやら前からべべに目をつけていた人種差別主義の警察官が、黒人のべべを陥れようとしたようだ。べべの無実を信じ、日々大きくなるお腹を抱え、毎日アルバイトをしながら面会に通うクリム。
しかし、唯一の証人である被害者の女性が国内から姿を消してしまう。途方に暮れるクリムに、その女性を探しに彼女の故郷のサラエボまで行き、訴訟を取り消すよう説得すると決意したのは、クリムの母親。だが、心に深い傷を負ったレイプ被害者の女性に、訴えを取り消せと説得できるのか自信がない。
子宝に恵まれず、黒人の養子をとってから宗教だけが生き甲斐のベベの母と、姉までもベベに「家族に犯罪者がいるなんて教会に顔向けできない」と冷淡で、クリムにもつらく当たる。消耗しきった獄中のベベを救うための弁護士費用を稼ごうと、ベベの父とクリムの家族は必死に働き、生まれてくる新しい命のためにも、一丸となって頑張るのだった・・・・。
<感想>
邦題の「幼なじみ」というタイトルから連想する、ノスタルジックなほのぼのとした恋物語かと思いきや、実に骨太なストーリーであった。
原題のA LA PLACE DU COEUR(ア ラ プラース デュ クール)は、英訳すれば、The Place of the Heartだろうか。つまり、心の在処(場所)。
そう、この物語に出てくる人は、悪徳警官、ベベの母と姉を除き、
2人の家族はもちろん、2人を知る街の人々も、「真心」から
行動し、語る。
失業者の溢れる貧しい港町マルセイユ。けれど、市井の人々の心は豊かだ。
特に心を打つのは、若い2人のそれぞれの父親の間にうまれた絆だ。お互い知らずとも、同じ街で育ち、同じように肉体労働で家族を養い、時代に流れに押されて゛職人”が誇りを持って生きにくい世の中になってきた。メンタル的に"幼馴染”な2人の男といえよう。「こんな汚い世の中に、俺たちの孫がうまれてくる」新しい命を祝福し、守り抜くため、この男たちは手をとりあって立ちあがるのだ。
《新しい家族》は、ベベとクリムのような、そして、2人の父たちのような、《愛と信頼》で繋がった他人同士からスタートするのだ、と今更ながら、しみじみと感じた。
好きなシーンは、べべの父が息子のために杏のタルトを作ったり、
クリムの父が身重の娘のために熱いココアをいれてやったり、そういう日常の血の通ったあたたかい場面だ。
そして、若さと、身重であるがゆえに、ベベに会いに行くことしかできない自分を責め苦しむクリムに、「お金を稼ぐのは我々でもできる。だが、赤ん坊を無事に生むことは、おまえにしかできないのだよ」と語る、クリムの両親の懐の深さには目頭が熱くなる。
全篇を彩るリストのピアノ曲「愛の夢〜3つの夜想曲」が映像に
ピッタリだ。特に第3番“恋人よ、愛しうる限り愛せ”が詩情豊かで美しい。
そして、この作品ならではの魅力。それは、「言葉の美しさと豊かさ」だ。フランス語は哲学を語るのに最も相応しい言語と昔から言われるが、そのとおりかもしれない。
物体にも人の心にも粉雪のようにチリがつもる。
でも人の心につもるチリは執拗で、まとわりついて離れない。
他人の心はわからない、
自分の心だってわからない、
心とは宇宙のように神秘的なものなのだ。
私にとって彼は全てだった。
彼の顔は世界より広く、
彼の目は太陽より深く、
砂漠より広大で、
地球の歴史が刻まれているような顔だった。
いずれもクリムの心の呟きである。
俳優については、クリムの母を演じたアリアンヌ・アスカリドが
素晴らしい。女、母、妻、すべての面を繊細に、だが太陽のように
明るく表現している。先の見えない不安で暗澹とした物語がよどまないのは、彼女の笑顔あってこそだろう。
思春期においては、男性よりも女性のほうが熟すのが早いのは周知の事実だが、この物語でも、母となったクリムは、強くあろうと健気に頑張り、気弱な言動はベベに見せない。ベベは、そんな幼い恋人に「助けてくれ」と懇願するシーンが目立った。俺のことなら心配するな、くらいの言葉を、身重の恋人にかけてやれないベベ、頼りないが、世界でたった1人本音を話せる存在が、幼なじみであり、未来の伴侶であるという、気取らずストレートなところが、ベベの魅力なのかもしれない。
だが、少々解せなかったのは、サラエボでのシーン。
被害者の弟が言うように、空爆をうけて、毛布や食料を恵んでもらう民族、なのだ。その厳しい現状を見て、拒絶され、クリムの
母も、憎らしげに見つめられて諦めて帰国したのでは?
「嘘をつくと報いがくるわよ」「被害者はときに加害者になりうるのよ」の脅しが効いたのだろうか。クリムの姉が言うように、彼女は本当の被害者であって、レイプされた上、孕んでしまい、警官に言いくるめられ、安全なフランスから危険で食料もままならない故郷に追い出されたとことん気の毒な女性である。解決の方向としては、警官の偽証罪、証拠隠滅罪のほうに持って行ってほしかった。そこが残念だ。
【A LA PLACE DU COEUR】1998年・仏
★1998年サンセバスチャン国際映画祭審査員特別賞、最優秀脚本賞、OCIC賞、3部門受賞
監督:ロベール・ゲディギャン
原作:ジェームズ・ボールドウィン『ビール・ストリートに口あらば』 (集英社刊)
俳優:ロール・ラウスト(クリム)
アレクサンドル・オグー(ベベ)
アリアンヌ・アスカリド(クリムの母)
ジャン=ピエール・ダルッサン(クリムの父)
ジェラール・メイラン(ベベの父)
クリスティーヌ・ブリュシェール(ベベの母)
ジャック・ブデ(家主の老人)
ヴェロニク・バルム(ソフィ、クリムの姉)
ジャック・ピエレ(警官)
<ストーリー>
南仏の港町マルセイユ、夏。クリムは、今日も愛するべべに会いに行く。べべは、無実の罪で刑務所に拘留されていた。
今日は特別だ。おなかの中に新しい生命が宿ったことをべべに告げる、大切な日。
幼なじみの二人は、運命に導かれ、いつしか互いに恋をし、
16歳と18歳で結婚を決意した。若すぎる二人の決断に最初は戸惑いを隠せなかった家族も、真剣な二人を心から応援してくれるようになる。
ところが、二人で暮らし始めようとしていた矢先、近所の移民女性がレイプされ、べべが訴えられてしまう。どうやら前からべべに目をつけていた人種差別主義の警察官が、黒人のべべを陥れようとしたようだ。べべの無実を信じ、日々大きくなるお腹を抱え、毎日アルバイトをしながら面会に通うクリム。
しかし、唯一の証人である被害者の女性が国内から姿を消してしまう。途方に暮れるクリムに、その女性を探しに彼女の故郷のサラエボまで行き、訴訟を取り消すよう説得すると決意したのは、クリムの母親。だが、心に深い傷を負ったレイプ被害者の女性に、訴えを取り消せと説得できるのか自信がない。
子宝に恵まれず、黒人の養子をとってから宗教だけが生き甲斐のベベの母と、姉までもベベに「家族に犯罪者がいるなんて教会に顔向けできない」と冷淡で、クリムにもつらく当たる。消耗しきった獄中のベベを救うための弁護士費用を稼ごうと、ベベの父とクリムの家族は必死に働き、生まれてくる新しい命のためにも、一丸となって頑張るのだった・・・・。
<感想>
邦題の「幼なじみ」というタイトルから連想する、ノスタルジックなほのぼのとした恋物語かと思いきや、実に骨太なストーリーであった。
原題のA LA PLACE DU COEUR(ア ラ プラース デュ クール)は、英訳すれば、The Place of the Heartだろうか。つまり、心の在処(場所)。
そう、この物語に出てくる人は、悪徳警官、ベベの母と姉を除き、
2人の家族はもちろん、2人を知る街の人々も、「真心」から
行動し、語る。
失業者の溢れる貧しい港町マルセイユ。けれど、市井の人々の心は豊かだ。
特に心を打つのは、若い2人のそれぞれの父親の間にうまれた絆だ。お互い知らずとも、同じ街で育ち、同じように肉体労働で家族を養い、時代に流れに押されて゛職人”が誇りを持って生きにくい世の中になってきた。メンタル的に"幼馴染”な2人の男といえよう。「こんな汚い世の中に、俺たちの孫がうまれてくる」新しい命を祝福し、守り抜くため、この男たちは手をとりあって立ちあがるのだ。
《新しい家族》は、ベベとクリムのような、そして、2人の父たちのような、《愛と信頼》で繋がった他人同士からスタートするのだ、と今更ながら、しみじみと感じた。
好きなシーンは、べべの父が息子のために杏のタルトを作ったり、
クリムの父が身重の娘のために熱いココアをいれてやったり、そういう日常の血の通ったあたたかい場面だ。
そして、若さと、身重であるがゆえに、ベベに会いに行くことしかできない自分を責め苦しむクリムに、「お金を稼ぐのは我々でもできる。だが、赤ん坊を無事に生むことは、おまえにしかできないのだよ」と語る、クリムの両親の懐の深さには目頭が熱くなる。
全篇を彩るリストのピアノ曲「愛の夢〜3つの夜想曲」が映像に
ピッタリだ。特に第3番“恋人よ、愛しうる限り愛せ”が詩情豊かで美しい。
そして、この作品ならではの魅力。それは、「言葉の美しさと豊かさ」だ。フランス語は哲学を語るのに最も相応しい言語と昔から言われるが、そのとおりかもしれない。
物体にも人の心にも粉雪のようにチリがつもる。
でも人の心につもるチリは執拗で、まとわりついて離れない。
他人の心はわからない、
自分の心だってわからない、
心とは宇宙のように神秘的なものなのだ。
私にとって彼は全てだった。
彼の顔は世界より広く、
彼の目は太陽より深く、
砂漠より広大で、
地球の歴史が刻まれているような顔だった。
いずれもクリムの心の呟きである。
俳優については、クリムの母を演じたアリアンヌ・アスカリドが
素晴らしい。女、母、妻、すべての面を繊細に、だが太陽のように
明るく表現している。先の見えない不安で暗澹とした物語がよどまないのは、彼女の笑顔あってこそだろう。
思春期においては、男性よりも女性のほうが熟すのが早いのは周知の事実だが、この物語でも、母となったクリムは、強くあろうと健気に頑張り、気弱な言動はベベに見せない。ベベは、そんな幼い恋人に「助けてくれ」と懇願するシーンが目立った。俺のことなら心配するな、くらいの言葉を、身重の恋人にかけてやれないベベ、頼りないが、世界でたった1人本音を話せる存在が、幼なじみであり、未来の伴侶であるという、気取らずストレートなところが、ベベの魅力なのかもしれない。
だが、少々解せなかったのは、サラエボでのシーン。
被害者の弟が言うように、空爆をうけて、毛布や食料を恵んでもらう民族、なのだ。その厳しい現状を見て、拒絶され、クリムの
母も、憎らしげに見つめられて諦めて帰国したのでは?
「嘘をつくと報いがくるわよ」「被害者はときに加害者になりうるのよ」の脅しが効いたのだろうか。クリムの姉が言うように、彼女は本当の被害者であって、レイプされた上、孕んでしまい、警官に言いくるめられ、安全なフランスから危険で食料もままならない故郷に追い出されたとことん気の毒な女性である。解決の方向としては、警官の偽証罪、証拠隠滅罪のほうに持って行ってほしかった。そこが残念だ。
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