「グッドモーニング・ベトナム」
2003年1月27日『グッドモーニング・ベトナム』
【GOOD MORNING VIETNAM】
1988年・米
監督: バリー・レビンソン
脚本: ミッチ・マーコウィッツ
俳優:ロビン・ウィリアムス (エイドリアン・クロンナウア)
フォレスト・ウィテカー(ガーリック)
ドゥング・タン・トラン (ツァン)
チンタラ・スカバタナ (トリン)
<ストーリー>
1965年、サイゴンに米軍放送のDJ、エイドリアン・クロンナウアが赴任してきた。彼が流すギンギンのロックンロールと、大統領までジョークのネタにしてしまうブラック・ユーモアたっぷりのマシンガン・トークは、たちまち戦場の兵士たちの心をつかむ。動転したのは軍の上層部だが、あまりの人気ぶりに、なかなか降板させられない。脳天気なクロンナウアは、街で出会った慎ましやかな美少女トリンを追いかけ、彼女の通う英語学校の教師を志願して生徒たちと猥談まじりの型破りな英会話授業を始めて、そこでも人気者に。妹トリンに近づく米兵を警戒していた、青年ツァンと友達になったクロンナウアだったが、しだいにサイゴンの町にも不穏な空気が漂いはじめる-----。
<感想>
予備知識として、物語の舞台である1965年というのは、ベトナム戦争のスタート地点である、ということを押さえておきたい。
セリフにもあるように、サイゴンはあの時点では戦場ではない。
アメリカがお節介にも「侵攻」してきた頃であり、いわゆるポリスアクション=軍事活動をしている状態だ。
もちろん、最前線では、他のベトナム戦争映画で描かれているような白兵戦になっているのだが、戦争が泥沼化していくのは、この映画のラストからであり、この時点では、まだ、サイゴンあたりでは「アメリカは正義だ、ベトナムの民間人を助けにきてやった」という胸を張っていたアメリカ兵が普通であった。この感覚が壊れていくのは、66年〜終戦、戦後である。
その時期のサイゴンだ、ということを踏まえて観ないと、理解しにくい。
クロンナウアは、銃撃戦の経験もなく、仲間が死ぬのを見たのは、
GIバーの爆破事故が恐らく初めて。そんなだから、ベトナム人が死ぬところも見たことはないだろうし、操作された情報しかDJ室には入ってこないから、民間人が村ごと焼き払われていることも、知らない。
そこからくる、この脳天気さなのである。
だから、トリンにも「あなた、わかってない」と呆れられる。
ラストでツァンに、裏切り者、と<友情を失った怒り>をぶつけ、逆に、米兵によって<罪なき自分の身内の命や足を失った怒り>
をツァンに泣きながら叫ばれて、初めて「この戦争の正体」を知る・・・このシーンで悶絶し嗚咽し地団太をふむクロンナウアが
哀しい。
だが、この気持ちを、ラジオで前線でベトコンと戦う兵たちには伝えられるはずもない。自分が今まで励まして勇気づけてきた兵たちが、ベトナム人の殺戮を・・・自分が親しくなったサイゴンの人々ももしかしたら、彼らの銃に倒れるかもしれないのだ・・。
だから、彼がガーリックに託したテープには、万感の思いがありながらも、早口にひとこと、「戦争ダイスキな国防総省」としか。
いよいよ本格的な「戦争」に投入されてゆく若い新兵が飛行機から降りてくる姿を見つめるクロンナウアの胸中はいかばかりであったろう。
ところで、この作品につきものの論争。
サッチモ(アームストロングの愛称)の『この素晴らしき世界』。
他の曲と明らかに扱いが違うことにお気づきだろうか。
この曲の間にだけ、爆撃シーン、銃殺シーンが入る。音はない。
愛聴版のサッチモのCDを確認したが、やはり、1965年には存在していない曲だ。1967年に世に出ている、つまり、この曲だけ、監督が意図的に観客に「歌詞を聴かせたかった」と考えていいだろう。
意訳になってしまうが、
緑の木々、赤いバラ 君と僕のために美しく輝いている
僕はただひとり想う 何と素晴らしい世界なのだろう
空の青さ、雲の白さ 明るく幸せな日々、 神聖な夜
僕はただひとり想う 何と素晴らしい世界なのだろう
七色の虹が大空に 行きかう人々もにこやか
「コンニチワ」友だちが手を握り 挨拶を交わす
心の底から「愛しているよ」と囁くんだ
赤んぼうが泣いている あの子らは大きくなって
僕が知らないことを沢山学ぶだろう
僕はただひとり想う 何と素晴らしい世界なのだろう
揶揄か、皮肉か。いろいろ考えられる。だが、私個人としては、
これはきっと監督の祈りなのではないだろうか・・・・と思う。
反戦を謳った曲ではない。「愛すべき日常への賛歌」だ。
皮肉に聞こえたら、これほど泣けない。絶望的な人間の蛮行を、
ベトナムの青い空と緑濃い木々は黙して見つめているのだ。
ちょっと気になったのは、やはりとってつけたような「英語学校」。トリンだけは、話す英語が、たどたどしいが、クロンナウアの早口英語は理解できて応対しているのも妙だし、老人まで英語ペラペラな生徒ばかりだったが?「バターを渡してください」という初級英語のクラスであの流暢な会話はどう考えても妙だ。
すべて英語で通して字幕を使わないのがハリウッド式だが、ときたま通訳つきで現地語が出てくるので、やはりおかしい。
ところで、アメリカ人から見たベトナム戦争ではない、ツァンのような一般農民だった人物の目を通して描いた゛ベトナム”なら、
オリバー・ストーン監督のベトナム三部作の最後、「天と地」をおすすめしたい。
【GOOD MORNING VIETNAM】
1988年・米
監督: バリー・レビンソン
脚本: ミッチ・マーコウィッツ
俳優:ロビン・ウィリアムス (エイドリアン・クロンナウア)
フォレスト・ウィテカー(ガーリック)
ドゥング・タン・トラン (ツァン)
チンタラ・スカバタナ (トリン)
<ストーリー>
1965年、サイゴンに米軍放送のDJ、エイドリアン・クロンナウアが赴任してきた。彼が流すギンギンのロックンロールと、大統領までジョークのネタにしてしまうブラック・ユーモアたっぷりのマシンガン・トークは、たちまち戦場の兵士たちの心をつかむ。動転したのは軍の上層部だが、あまりの人気ぶりに、なかなか降板させられない。脳天気なクロンナウアは、街で出会った慎ましやかな美少女トリンを追いかけ、彼女の通う英語学校の教師を志願して生徒たちと猥談まじりの型破りな英会話授業を始めて、そこでも人気者に。妹トリンに近づく米兵を警戒していた、青年ツァンと友達になったクロンナウアだったが、しだいにサイゴンの町にも不穏な空気が漂いはじめる-----。
<感想>
予備知識として、物語の舞台である1965年というのは、ベトナム戦争のスタート地点である、ということを押さえておきたい。
セリフにもあるように、サイゴンはあの時点では戦場ではない。
アメリカがお節介にも「侵攻」してきた頃であり、いわゆるポリスアクション=軍事活動をしている状態だ。
もちろん、最前線では、他のベトナム戦争映画で描かれているような白兵戦になっているのだが、戦争が泥沼化していくのは、この映画のラストからであり、この時点では、まだ、サイゴンあたりでは「アメリカは正義だ、ベトナムの民間人を助けにきてやった」という胸を張っていたアメリカ兵が普通であった。この感覚が壊れていくのは、66年〜終戦、戦後である。
その時期のサイゴンだ、ということを踏まえて観ないと、理解しにくい。
クロンナウアは、銃撃戦の経験もなく、仲間が死ぬのを見たのは、
GIバーの爆破事故が恐らく初めて。そんなだから、ベトナム人が死ぬところも見たことはないだろうし、操作された情報しかDJ室には入ってこないから、民間人が村ごと焼き払われていることも、知らない。
そこからくる、この脳天気さなのである。
だから、トリンにも「あなた、わかってない」と呆れられる。
ラストでツァンに、裏切り者、と<友情を失った怒り>をぶつけ、逆に、米兵によって<罪なき自分の身内の命や足を失った怒り>
をツァンに泣きながら叫ばれて、初めて「この戦争の正体」を知る・・・このシーンで悶絶し嗚咽し地団太をふむクロンナウアが
哀しい。
だが、この気持ちを、ラジオで前線でベトコンと戦う兵たちには伝えられるはずもない。自分が今まで励まして勇気づけてきた兵たちが、ベトナム人の殺戮を・・・自分が親しくなったサイゴンの人々ももしかしたら、彼らの銃に倒れるかもしれないのだ・・。
だから、彼がガーリックに託したテープには、万感の思いがありながらも、早口にひとこと、「戦争ダイスキな国防総省」としか。
いよいよ本格的な「戦争」に投入されてゆく若い新兵が飛行機から降りてくる姿を見つめるクロンナウアの胸中はいかばかりであったろう。
ところで、この作品につきものの論争。
サッチモ(アームストロングの愛称)の『この素晴らしき世界』。
他の曲と明らかに扱いが違うことにお気づきだろうか。
この曲の間にだけ、爆撃シーン、銃殺シーンが入る。音はない。
愛聴版のサッチモのCDを確認したが、やはり、1965年には存在していない曲だ。1967年に世に出ている、つまり、この曲だけ、監督が意図的に観客に「歌詞を聴かせたかった」と考えていいだろう。
意訳になってしまうが、
緑の木々、赤いバラ 君と僕のために美しく輝いている
僕はただひとり想う 何と素晴らしい世界なのだろう
空の青さ、雲の白さ 明るく幸せな日々、 神聖な夜
僕はただひとり想う 何と素晴らしい世界なのだろう
七色の虹が大空に 行きかう人々もにこやか
「コンニチワ」友だちが手を握り 挨拶を交わす
心の底から「愛しているよ」と囁くんだ
赤んぼうが泣いている あの子らは大きくなって
僕が知らないことを沢山学ぶだろう
僕はただひとり想う 何と素晴らしい世界なのだろう
揶揄か、皮肉か。いろいろ考えられる。だが、私個人としては、
これはきっと監督の祈りなのではないだろうか・・・・と思う。
反戦を謳った曲ではない。「愛すべき日常への賛歌」だ。
皮肉に聞こえたら、これほど泣けない。絶望的な人間の蛮行を、
ベトナムの青い空と緑濃い木々は黙して見つめているのだ。
ちょっと気になったのは、やはりとってつけたような「英語学校」。トリンだけは、話す英語が、たどたどしいが、クロンナウアの早口英語は理解できて応対しているのも妙だし、老人まで英語ペラペラな生徒ばかりだったが?「バターを渡してください」という初級英語のクラスであの流暢な会話はどう考えても妙だ。
すべて英語で通して字幕を使わないのがハリウッド式だが、ときたま通訳つきで現地語が出てくるので、やはりおかしい。
ところで、アメリカ人から見たベトナム戦争ではない、ツァンのような一般農民だった人物の目を通して描いた゛ベトナム”なら、
オリバー・ストーン監督のベトナム三部作の最後、「天と地」をおすすめしたい。
コメント