マジェスティック
【THE MAJESTIC】2001年・米
監督・製作:フランク・ダラボン
脚本:マイケル・スローン
音楽:マーク・アイシャム

俳優:ジム・キャリー(ピーター/ルーク)
マーティン・ランドー(ハリー)
ローリー・ホールデン(アデル)
   ゲリー・ブラック(エメット)
   スーザン・ウィリス(アイリーン)
   デイビッド・オグデン・スティアーズ(スタントン医師)
   キャサリーン・デント(メイベル)
   ブライアン・ホウ(カール)
   カール・ベリー(ボブ)
   ジェイムズ・ホイットモア(スタン)
   ロン・リフキン(ケビン)
   ジェフリー・デマン(市長)
   ブレント・ブリスコー(保安官)

<ストーリー>
物語の舞台は、赤狩りの嵐吹き荒れるハリウッド、1951年。
新進脚本家ピーターは、次ぎの映画に意欲を燃やしていた。そんなとき、ノンポリの彼にはまったく身に覚えのない「アカ」のレッテルを貼られ、聴聞会で懺悔し、仲間を密告しないと仕事も人生も奪われるという事態に陥ってしまう。
確かに、戦後、復員して入った大学で、お目当ての女の子のお尻を追いかけて、マーシャル・プラン(ヨーロッパ復興計画)の精神に沿ったサークルの集会に参加したことはあったが、サークルの名簿が原因で赤狩りのターゲットとなってしまったらしい。恋人にはフラれる、バーテンと弁護士以外、誰も口をきいてくれない・・・。

ヤケ酒をあおったピーターは、泥酔状態でドライブの末、大事故を起こしてしまい、頭を強打したせいで記憶を失って、見知らぬ海岸に流れ着いたのだった。
散歩中の老人に助けられ、“ローソン”という小さな寂しげな町の
診療所へ。すると、誰もかれもが「何処かで見た顔だ」と不思議がる。そこへ、ハリーという老人が駆け付け、「戦争中に行方不明になった息子、ルークが9年ぶりに帰ってきた!」と・・・。

第二次大戦で、街の青年の大半を失ったこの町は、癒えない悲しみに閉ざされていた。そこへこの朗報。町は“ルーク”を大歓迎し、
町は活気を取りもどした。ピーター本人も、自分にソックリな写真、息子と呼ぶ優しい老人、婚約していたという美しい恋人、幼馴染だという青年たちに囲まれ、この町でルークとして生きていこう、と決意を固めるのだった。そして、“父”ハリーと共に、戦前に経営していた映画館“THE MAJESTIC”(威風堂々の意)を町ぐるみで修理し、再開にこぎつけたのだった。

だが・・・・そんなとき、ピーターが打ち上げられた浜辺に、彼の大破した車と所持品が流れ着いた・・・・・・。
それと時をほぼ同じくして、マジェスティックで上映した、自作の映画作品によって彼は記憶を取り戻してしまうのであった。

ただでさえ混乱を極める彼の前に、FBIが立ちはだかる・・!

<感想>
戦後の米ソ冷戦を背景とした赤狩りの時代の物語である。赤狩りに関しては、後で若干説明を加えるが、この映画のテーマは、「赤狩りというアメリカの歴史の汚点」ではないし、共産主義の糾弾でもないのは、ご覧になった方ならおわかりだろう。

『ショーシャンクの空に』では“諦めなければ希望は消えない”ことを、『クリーンマイル』では、“希望が呼び寄せた奇跡”を描いたフランク・ダラボン監督。『マジェスティック』は、まさに3つ目の「希望」を描いたといえるだろう。この映画にはど根性も特別な能力も出てこない。あるのは野心だけ、信念も特にない、やや弱気な普通の青年が、生きる希望をなくし、空っぽになってしまうが、喪失感から同じく空っぽになっていた町の人々の“希望”のシンボル的存在になり、町と、彼が互いに“希望”によって“生きる意味、明日を見つめる瞳”を取り戻していく物語だ。

だが、“真実に拠らないすがるような希望”は、危うげに積み上げた積み木の城がわずかな振動で崩れ落ちるように、砕け散った。
なんとも胸が痛む。

そこからが、この物語が本当に描きたかった“自力で掴み取る希望”のスタートだ。棚ボタ式に与えられた宝くじのような希望ではなく、一度自ら捨ててしまった希望を、もう一度、“勇気”を糧に取り戻すのだ。

希望は、1人で持てるものだろうか?否、誰かがいてこその希望、
希望は、与えるものであり、与えられるものだ。

ピーターは、町の人の希望を、まるで台風が稲をなぎ倒してしまうように枯れさせたかのように思えたが、すでに、ピーターは、マジェスティックを再開させることでこの町に“希望の種”をまいていたのだろう。タネだからすぐには見えない。だが、確かにあったから、人々は、聴聞会をTVで、ラジオでハラハラしながら聞き入ったのではないか。
この時点では、すでに町の人々の希望は“ルークが帰ってきたこと”ではなくなっている。1人の青年がもたらしてくれた光、活気は、彼が「ルークだったかどうか」には無関係だということに、皆が気付きはじめていたからだろう。ピーターが『嘘』をついて保身しても、町は絶望のどん底。真実を話せば、侮辱罪で投獄・・・。
一緒に笑って過ごした青年が・・・。どちらに転んでも、ローソンの町人たちに残されるのは、“絶望”だけだ。この展開のスリリングさに、手に汗握り、喉がカラカラになったのは私だけではないだろう。

第二次大戦で、アメリカはイタリア・日本・ドイツの全体主義(ファシズム)から“アメリカの誇りである、自由と民主主義”を守り抜いたはずだ。その大儀の為に、ルークを始め、無数の若い命が散った。ナチスが勝っていたら・・・・想像するのも恐ろしかろう。
なのに、米・ソが戦後対立し、“次なるターゲット=敵”が共産主義になると、国内の共産主義者はまるでナチスに迫害されるユダヤ人と同じ状態に。1つの民族の存在が禁じられたのと同じように、
1つの思想を持つ人間は存在を禁じられ投獄されたのだ。
常に“敵”を必要とするアメリカという国の暗部がここにある。

「戦後、そんな国にするために若い兵達が死んだんじゃない!!」

魂を揺さぶられた。ピーターは死者から、町から、愛する女性から学んで成長を遂げたのである。ここで、初めてピーターは、名前と記憶を取り戻しただけではなく、信念を持った人物になり得たのだ。信条を持たずに生きるなら、名前と家と仕事があって頭はいっぱいでも、心は空虚なままだ。
言い尽くして、言葉が出なくなったピーターが唇を噛み締めてかざしたルークの“勲章”に涙がこぼれた。

聴聞会の結果がどうなったかは、是非、ご覧になって確かめていただきたい。

フランク・ダラボン監督はフランク・キャプラ監督を敬愛していることは知られているが、やはり、この作品には『素晴らしき哉、人生!』 を包むムードと同じ温かな匂いがたちこめている。小さな町の庶民に生きる喜びを与えた男の物語。未見の方には、是非とも、おすすめしたい作品だ。一生涯、忘れ得ない名作といえるだろう。

第二次大戦の“Dデー”“ノルマンディー上陸”のくだりがわからなかった方には、S・スピルバーグ監督の『プライベート・ライアン』や同監督の『バンド・オブ・ブラザーズ』をおすすめする。

赤狩りが暗示されている作品としては、『アトランティスの心』 が記憶に新しい。FBIは、あの老人を赤狩りのための思想チェッカーとして探していたわけだ。


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