「アリ」
2003年2月5日『アリ』 【Ali】2001年・米
監督 マイケル・マン
脚本 マイケル・マン / エリック・ロス / クリストファー・ウィルキンソン / スティーブン・J・リベル
原作 グレゴリー・アレン・ハワード
音楽 ピーター・バーク / リサ・ジェラード
俳優:ウィル・スミス(モハメド・アリ)
マリオ・ヴァン・ピーブルズ(マルコムX)
ジョン・ヴォイト(人気キャスター、コーセル)
ジェイミー・フォックス(マネージャー)
ジャンカルロ・エスポジート(アリの父)
ジェイダ・ピンケット・スミス(最初の妻)
ノーナ・ゲイ(2番目の妻)
<ストーリー>
今なおカリスマ的存在のボクサー、モハメド・アリの1964年から1974年(チャンピオンになってから、徴兵拒否騒動を経て、ザイールのキンシャサでの復活試合)までの物語。監督は、実話社会派映画の大御所、マイケル・マン。
22歳でボクシングヘビー級チャンピオンになった黒人青年カシアス・クレイは、マルコムXとの友情を通じてブラックモスリムに
改宗、イライジャ師から「モハメド・アリ」(賞賛されるべき人、の意)の名を授かる。(参考:アメリカのアフロアメリカンの名前は、奴隷制度時代に主人である白人に押しつけられた名前であり、400年の黒人奴隷制度の象徴だとして、ブラックモスリム、黒人のみで構成されるイスラム教寺院のこと)
黄金時代が訪れたと思う間もなく、アメリカはベトナム戦争時代に突入、アリも徴兵されるが、拒否。これによって、旅券とプロボクサー資格を剥奪され、国内でも国外でもボクシングの試合ができなくなってしまう。
長い長い裁判と貧窮の日々の果て、最高裁で勝利、不当に剥奪されたプロ資格を取り戻す。そして、伝説となった、アフリカのザイール、キンシャサでの復活試合の日が訪れる・・・・。
<感想>
ドキュメンタリータッチで、彼の人生で最も大きな出来事に入るであろうトピックスを、かなり冷静なカメラワークで描写しているため、観客はややつきはなされたような印象をうけるかもしれない。
あいかわらず長い(2時間37分)が、マイケル・マン監督らしい重厚な出来に満足だ。
日本人が鑑賞する場合、ある程度、この時期のアメリカ情勢の基礎知識がないと、アリの内面の葛藤が見えてこない。手っ取り早い方法としては、デンゼル・ワシントン主演、スパイク・リー監督の
「マルコムX」、そしてエドワード・ノートン主演、トニー・ケイ監督の「アメリカン・ヒストリーX」 をご覧になると、相当クリアに、当時のアメリカの抱えていた現実を知ることができるだろう。
マルコムXは、この映画ではマリオ・ヴァン・ピーブルズが演じて、登場時間は短いがウィル・スミスを食うほどの存在感を示している。
アリは、破産したとたんにイライジャ師から信仰を禁じられたが、
ブラックモスリムとイライジャ師のきな臭さにはあまり関心がなかったようだ・・・マルコムXが誰の命令で何故暗殺されたのかも、おおよその想像はついていたのだろうが、信念が友と離れてしまっていたのだろう。1人、車の中で涙するシーンに心が沈んだ。
だが、アリはイライジャ師や、ブラックモスリムのためには生きていない。とことん、自らの信念のために突っ走っていく。
アリの人生と平行して描かれる社会情勢は、マルコムXやキング牧師の暗殺、公民権運動、人種差別問題、ベトナム戦争、そして、アフリカの黒人問題にまで及ぶが、アリがコメントを述べるのは徴兵拒否に関してだけであり、あとはアリの姿から観客がそれぞれ読み取り想像するという演出手段。
その徴兵拒否も、理由が実にハッキリしており、アンチ・アメリカの“アメリカン・ヒーロー”らしい。罪のないよその国の貧乏な人たちを殺す理由がない。俺は自由に生きたい。それだけ。
徴兵を形だけ受諾すれば、3週間の訓練のみで退役になり、ボクサー生活に戻れることになっていたのだから、生きる証であったボクシングを捨ててまで、もっと強く憎い敵=アメリカ政府 と闘う覚悟を決めたアリの熱い血には驚愕するばかりだ。
だが、アリとて聖人でもバケモノでもない。弱い人間だ。お金もすることもなくなってしまったアリの虚ろな目、子供がいても次から次へ女に目移りする無責任さも何の解説もつけずに静かに描いている。それでも、酒やヤクに溺れることなく体を鍛え続けた彼に、不屈の克己の精神を見る。
アフリカでの「アリ、ボンバイエ!」(アリ、あいつをやっつけて)の大合唱、壁に描かれた、戦車をブッとばしているアリの拳の絵。アリは一言も発さない。ただ、絵を見つめ、声援を聞きながら黙々とランニングする姿が心に残る・・・。
「自分を粗末にするな!」
ヤク中のマネージャーに浴びせた言葉は、響いた。
このマネージャーを演じたジェイミー・フォックスがいい。不思議な逆モヒカンタイプの禿げが印象的だが、ブラック・ユダヤ教徒で
「俺は黒人の白人さ」と世渡り上手でコミカルなキャラクターが、
沈みがちなスクリーンに弾みをつけている。
アリといえば、通算61戦56勝37KO5敗という驚異的な数字と、過激過ぎるリップサービスで伝説のボクサー。リングの中でも外でも
孤独なアリを、ウィル・スミスが、メークと驚くほどの肉体改造の果てにタフに演じきっている。華奢で可愛らしい印象の彼とは思えない。可愛いのはベッドの上で女に見せる表情だけ。
ボクシングシーンのカメラの視点がアリの視点で動いており、緊迫感が高まる。
“アリ・ダンス”と言われる、まるで踊るようなの羽のような軽いステップ、足の小さめなウィル・スミスが華麗に巧みに表現していて、白い蝶が舞っているようだ・・・と感じた。さすがというべきであろう。
監督は似せること、事実に近づけることにこだわっており、当時の人気スポーツキャスター、コーセル氏を演じたジョン・ヴォイトの
つけ鼻も苦笑できる。
アリは不思議な男だ。あれだけ過激なリップサービスをして、対戦相手やカツラを馬鹿にしたキャスターとも、深い友情を築いている。過激だが、裏表のない骨太な男、アリの魅力を感じさせてくれる作品だった。
ボクサーの伝記的映画は、ロバート・デ・ニーロがジェイク・ラモッタを演じた『レイジング・ブル』しか知らないのだが、人間的には対照的なこの2人、見比べてみるのも面白いだろう(ラモッタは50年代に活躍したボクサー)。
蛇足だが、残念ながら、日本での対猪木異種格闘技戦は出てこない。時期が違うこともあるが、猪木にそっくりの俳優を用意できないのではないかという気もする・・・。
アリのファンの人にとっては、“その後のアリ”の激しい生き方こそ紹介してほしかったという希望もあるかもしれない・・・
オリンピック金メダルを捨てた逸話や、初老になって聖火ランナーを務めたことは、ボクシングに興味のない方でも記憶にあるかもしれない。そして、現在病魔と闘っている彼も。
だが、アメリカの情勢がいちばん激しく動いたこの時期に焦点を絞り、老いた彼は描かないこの演出でよかったようにも思う。
彼は、永遠に燃え盛るアンチ・アメリカン・ヒーロー。その火は人々の胸から消え去ることはないのだから・・・。
少々気になったのは、10年間という時間の流れが、ウィル・スミスの演技から感じ取りにくかったことか。記者から「10年前のようにあなたは速いのか」と質問されて、初めて観客はハっと時の流れを実感する。腹が出るわけでも白髪が増えるわけでもない20代〜30代の10年間、難しいとは思うのだが、苦節の10年間、もう少し顔つきに変化、深みが欲しかったように思う。
少ないセリフ、低音の効いた音楽、ストイックなマイケル・マン監督の美学が味わえる1本だ。
監督 マイケル・マン
脚本 マイケル・マン / エリック・ロス / クリストファー・ウィルキンソン / スティーブン・J・リベル
原作 グレゴリー・アレン・ハワード
音楽 ピーター・バーク / リサ・ジェラード
俳優:ウィル・スミス(モハメド・アリ)
マリオ・ヴァン・ピーブルズ(マルコムX)
ジョン・ヴォイト(人気キャスター、コーセル)
ジェイミー・フォックス(マネージャー)
ジャンカルロ・エスポジート(アリの父)
ジェイダ・ピンケット・スミス(最初の妻)
ノーナ・ゲイ(2番目の妻)
<ストーリー>
今なおカリスマ的存在のボクサー、モハメド・アリの1964年から1974年(チャンピオンになってから、徴兵拒否騒動を経て、ザイールのキンシャサでの復活試合)までの物語。監督は、実話社会派映画の大御所、マイケル・マン。
22歳でボクシングヘビー級チャンピオンになった黒人青年カシアス・クレイは、マルコムXとの友情を通じてブラックモスリムに
改宗、イライジャ師から「モハメド・アリ」(賞賛されるべき人、の意)の名を授かる。(参考:アメリカのアフロアメリカンの名前は、奴隷制度時代に主人である白人に押しつけられた名前であり、400年の黒人奴隷制度の象徴だとして、ブラックモスリム、黒人のみで構成されるイスラム教寺院のこと)
黄金時代が訪れたと思う間もなく、アメリカはベトナム戦争時代に突入、アリも徴兵されるが、拒否。これによって、旅券とプロボクサー資格を剥奪され、国内でも国外でもボクシングの試合ができなくなってしまう。
長い長い裁判と貧窮の日々の果て、最高裁で勝利、不当に剥奪されたプロ資格を取り戻す。そして、伝説となった、アフリカのザイール、キンシャサでの復活試合の日が訪れる・・・・。
<感想>
ドキュメンタリータッチで、彼の人生で最も大きな出来事に入るであろうトピックスを、かなり冷静なカメラワークで描写しているため、観客はややつきはなされたような印象をうけるかもしれない。
あいかわらず長い(2時間37分)が、マイケル・マン監督らしい重厚な出来に満足だ。
日本人が鑑賞する場合、ある程度、この時期のアメリカ情勢の基礎知識がないと、アリの内面の葛藤が見えてこない。手っ取り早い方法としては、デンゼル・ワシントン主演、スパイク・リー監督の
「マルコムX」、そしてエドワード・ノートン主演、トニー・ケイ監督の「アメリカン・ヒストリーX」 をご覧になると、相当クリアに、当時のアメリカの抱えていた現実を知ることができるだろう。
マルコムXは、この映画ではマリオ・ヴァン・ピーブルズが演じて、登場時間は短いがウィル・スミスを食うほどの存在感を示している。
アリは、破産したとたんにイライジャ師から信仰を禁じられたが、
ブラックモスリムとイライジャ師のきな臭さにはあまり関心がなかったようだ・・・マルコムXが誰の命令で何故暗殺されたのかも、おおよその想像はついていたのだろうが、信念が友と離れてしまっていたのだろう。1人、車の中で涙するシーンに心が沈んだ。
だが、アリはイライジャ師や、ブラックモスリムのためには生きていない。とことん、自らの信念のために突っ走っていく。
アリの人生と平行して描かれる社会情勢は、マルコムXやキング牧師の暗殺、公民権運動、人種差別問題、ベトナム戦争、そして、アフリカの黒人問題にまで及ぶが、アリがコメントを述べるのは徴兵拒否に関してだけであり、あとはアリの姿から観客がそれぞれ読み取り想像するという演出手段。
その徴兵拒否も、理由が実にハッキリしており、アンチ・アメリカの“アメリカン・ヒーロー”らしい。罪のないよその国の貧乏な人たちを殺す理由がない。俺は自由に生きたい。それだけ。
徴兵を形だけ受諾すれば、3週間の訓練のみで退役になり、ボクサー生活に戻れることになっていたのだから、生きる証であったボクシングを捨ててまで、もっと強く憎い敵=アメリカ政府 と闘う覚悟を決めたアリの熱い血には驚愕するばかりだ。
だが、アリとて聖人でもバケモノでもない。弱い人間だ。お金もすることもなくなってしまったアリの虚ろな目、子供がいても次から次へ女に目移りする無責任さも何の解説もつけずに静かに描いている。それでも、酒やヤクに溺れることなく体を鍛え続けた彼に、不屈の克己の精神を見る。
アフリカでの「アリ、ボンバイエ!」(アリ、あいつをやっつけて)の大合唱、壁に描かれた、戦車をブッとばしているアリの拳の絵。アリは一言も発さない。ただ、絵を見つめ、声援を聞きながら黙々とランニングする姿が心に残る・・・。
「自分を粗末にするな!」
ヤク中のマネージャーに浴びせた言葉は、響いた。
このマネージャーを演じたジェイミー・フォックスがいい。不思議な逆モヒカンタイプの禿げが印象的だが、ブラック・ユダヤ教徒で
「俺は黒人の白人さ」と世渡り上手でコミカルなキャラクターが、
沈みがちなスクリーンに弾みをつけている。
アリといえば、通算61戦56勝37KO5敗という驚異的な数字と、過激過ぎるリップサービスで伝説のボクサー。リングの中でも外でも
孤独なアリを、ウィル・スミスが、メークと驚くほどの肉体改造の果てにタフに演じきっている。華奢で可愛らしい印象の彼とは思えない。可愛いのはベッドの上で女に見せる表情だけ。
ボクシングシーンのカメラの視点がアリの視点で動いており、緊迫感が高まる。
“アリ・ダンス”と言われる、まるで踊るようなの羽のような軽いステップ、足の小さめなウィル・スミスが華麗に巧みに表現していて、白い蝶が舞っているようだ・・・と感じた。さすがというべきであろう。
監督は似せること、事実に近づけることにこだわっており、当時の人気スポーツキャスター、コーセル氏を演じたジョン・ヴォイトの
つけ鼻も苦笑できる。
アリは不思議な男だ。あれだけ過激なリップサービスをして、対戦相手やカツラを馬鹿にしたキャスターとも、深い友情を築いている。過激だが、裏表のない骨太な男、アリの魅力を感じさせてくれる作品だった。
ボクサーの伝記的映画は、ロバート・デ・ニーロがジェイク・ラモッタを演じた『レイジング・ブル』しか知らないのだが、人間的には対照的なこの2人、見比べてみるのも面白いだろう(ラモッタは50年代に活躍したボクサー)。
蛇足だが、残念ながら、日本での対猪木異種格闘技戦は出てこない。時期が違うこともあるが、猪木にそっくりの俳優を用意できないのではないかという気もする・・・。
アリのファンの人にとっては、“その後のアリ”の激しい生き方こそ紹介してほしかったという希望もあるかもしれない・・・
オリンピック金メダルを捨てた逸話や、初老になって聖火ランナーを務めたことは、ボクシングに興味のない方でも記憶にあるかもしれない。そして、現在病魔と闘っている彼も。
だが、アメリカの情勢がいちばん激しく動いたこの時期に焦点を絞り、老いた彼は描かないこの演出でよかったようにも思う。
彼は、永遠に燃え盛るアンチ・アメリカン・ヒーロー。その火は人々の胸から消え去ることはないのだから・・・。
少々気になったのは、10年間という時間の流れが、ウィル・スミスの演技から感じ取りにくかったことか。記者から「10年前のようにあなたは速いのか」と質問されて、初めて観客はハっと時の流れを実感する。腹が出るわけでも白髪が増えるわけでもない20代〜30代の10年間、難しいとは思うのだが、苦節の10年間、もう少し顔つきに変化、深みが欲しかったように思う。
少ないセリフ、低音の効いた音楽、ストイックなマイケル・マン監督の美学が味わえる1本だ。
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