「エンド・オブ・オール・ウォーズ」
2003年2月6日エンド・オブ・オール・ウォーズ
【TO END ALL WARS】 2002年・米・英・タイ
監督:デビッド・L.カニンガム
脚本:ブライアン・ゴダワ
原作:アーネスト・ゴードン「クワイ河収容所」」("Miracle on the River Kwai")
俳優:ロバート・カーライル(キャンベル少佐)
キーファー・サザーランド(ヤンカー)
シアラン・マクメナミン(アーネスト・ゴードン大尉)
マーク・ストロング(ダスティー)
木村栄 サカエ・キムラ(イトウ軍曹)
マサユキ・ユイ(ノグチ軍曹)
ジェームズ・コスモ(マクリーン中佐)
佐生有語 ユウゴ・サソウ(通訳、ナガセ)
<ストーリー>
1941年12月8日、日本がハワイの真珠湾を攻撃して太平洋戦争に突入。開戦直後、日本軍はマレー半島に上陸し、次々にアジアを占拠していった。熱帯の地シンガポールもそのうちのひとつ。そんな中、マクリーン中佐率いる帰還中の小さなスコットランド部隊が日本軍に捕らえられ、ビルマ(現ミャンマー)の密林地帯の奥地にある捕虜収容所に強制収容されてしまう。
そこでは、ジャングル地帯を走る悪名高い“死の鉄道”(参考:「泰緬鉄道」のこと。第二次世界大戦中、アジア侵略を進める日本軍が物資輸送ルートのために敷設した軍事鉄道。タイ(泰)とビルマ(緬)をクワイ河に沿って結び420kmにも及ぶ)の敷設工事のために、何百人という連合軍の戦争捕虜たちが強制労働させられていたのだ。
日本軍の非人間的な虐待行為が日常的に繰り広げられる中、劣悪な生活環境や飢えから、捕虜たちは精神的にも肉体的にも蝕まれ始めていく・・・。
ある日、日本軍とのちょっとした口論からスコットランド軍のボスであるマクリーン中佐が虐殺されてしまう。この事件をきっかけに捕虜たちの緊張状態が途切れ、内部に蓄積されていた感情が一気に噴き出した。キャンベル少佐は復讐の思いを秘めながら、危険な脱出計画を企てはじめる。
一方で、敬虔なクリスチャンのイギリス人捕虜ダスティに触発されたアーネストは文学、哲学、芸術、そして「生きる」ということについて考える秘密の大学を死体置き場で開く。捕虜たちは徐々に自らの尊厳と希望を取り戻し、さらには、自己犠牲、彼らの敵に対する赦しの気持ちを育んでいく――しかしこの二つの対極の価値観は捕虜どうしの確執を増徴させ、次第に内部闘争へと発展していってしまう。
そんなとき、連合軍の爆撃機が収容所上空に姿を見せた。助かったと思う間もなく、連合軍の捕虜がいるのに気付かないのか、収容所ごと空爆され、日本兵も連合軍捕虜たちも大勢が死傷してしまう。
だが、戦局は明らかに変化を見せはじめていた・・・・。
<感想>
日本で公開しても集客できないと踏んでいるのか、いまだに未公開である。二名の当時の生存者もおり、「パール・ハーバー」のような娯楽大作色は一切ない。ドキュメンタリータッチの作品である。
日本軍の、国際条約を無視した捕虜の不当な扱いは悪名高く、
「戦場のメリー・クリスマス」 もジャワの収容所が舞台だったが、この作品は、戦メリで語られたような数名の中心人物たちの人間的内面の物語ではなく、キリスト教圏の欧米人には理解しにくい「武士道:ブシドー」「恥」「礼」「天皇のために個人の命は喜んで投げ出す」に戸惑う捕虜たちが、キリスト教的な隣人愛や、赦し、生きる意味、を模索しつつ、生きぬくために“希望”を
模索するヒューマンドラマである。
「人は希望を持つと苦しむが、希望を失えば死ぬ」
「憎しみの終着駅はどこだ。敵の目には自分が見える。」
彼らは、憎しみについて、考える。憎悪をたぎらせた敵の瞳に映るのは、同じく憎しみに淀んだ自分の姿。鏡が鏡を映すように無限に続くメビウスの輪をどこで絶ち切ればいい・・・
その答を、彼らは見出してゆく。生きるために。
これは、国家間の戦争がどうだったとか、他の国に比べて日本軍の捕虜の扱いは酷かったとか、そういう表面的なことを訴える作品ではない。
人間が極限状態のなかで、動物のようにではなく、どうしたら人間らのままでいられるか、自己の尊厳をどう保つか、それをテーマとした作品なのだと思う。だから、この映画にはハリウッド的なヒロイズム臭もお説教臭さもない。低予算で、よくここまで堅実な作品を作れたものだと感心する。
日本軍人の描かれ方に注目したい。
敵の日本軍曹たちにも、個性を与え、同じ人間なのだ、という視点を感じる。酒好き女好きでだらしがなく、いざとなると自分1人だけ金目のものを持って逃げてしまう器の小さな高官。捕虜にも部下にも鬼のごとく厳しいが、自分にも厳しく、ひたすら滅私奉公に全身全霊を捧げる、骨の髄まで「ブシドー」に染まった軍曹。でも、このイトウ軍曹もロボットのようには描かれていない。ダスティーを自ら磔にし、涙を流すイトウ軍曹を描いたことには意味がある。
そして、通訳のナガセ。虚弱体質で、戦闘経験はない、学者肌の
ナガセは、目の前で繰り広げられる惨劇に、ただ青ざめうろたえる・・・。地獄を目の当たりにして心を痛めてもどうすることもかなわない下士官の辛さ。アーネストとナガセは、学問を愛する者同士、静かに心を通わせていく・・・。
映画のモデルとなった2人の人物がDVDの特典で紹介されている。
原作者のアーネスト・ゴードン氏。1942年、捕虜となりクワイ河流域の捕虜収容所で泰緬鉄道敷設のための強制労働を強いられた。
終戦後は、大学教会の牧師に。2002年1月に亡くなった。
通訳のナガセのモデル、永瀬 隆氏。
青山学院大学で英語を学んだ彼は通訳を希望して入隊。1943年、タイに駐屯、カンチャナプリ憲兵分隊で捕虜の思想動向のチェックを任務とする。戦後は進駐英印軍で通訳をし、後に教師に。1986年、カンチャナプリにクワイ河平和寺院を建立(タイで僧の資格を取得)、現在もタイ国財団法人「クワイ河平和基金」を主宰・運営しておられる。
ところで、邦題(ビデオ・DVDの)と原題、かなりニュアンスが違う。「エンド・オブ・オール・ウォーズ」は、すべての戦争の終焉、であり、終わってしまっているのだ。
でも、この物語の原題とテーマは、「TO END ALL WARS」、すべての戦争を終わらせるために、だ。
考え続けなければいけない。異文化の国同士が、異なる価値観を持って戦うことの恐ろしさを。
今、アメリカはまったく異文化圏であるイラクとの戦闘準備に入っている。同じ惨劇を繰り返すことになるのではないのか・・・。
当時の日本人が天皇の名のもとに何でもしたように、イスラム教圏の彼らは、アラーの名のもとになら、何でもするだろう。その過激さは計り知れない・・・・。
今だからこそ、この映画の日本での公開が必要だと強く思う。
「反日映画」ではない。「反戦映画」だ。
ナチスの蛮行を描いたホロコーストをテーマにした作品が、「反ドイツ」目的ではないのと同じだと考えてみてほしい。
【TO END ALL WARS】 2002年・米・英・タイ
監督:デビッド・L.カニンガム
脚本:ブライアン・ゴダワ
原作:アーネスト・ゴードン「クワイ河収容所」」("Miracle on the River Kwai")
俳優:ロバート・カーライル(キャンベル少佐)
キーファー・サザーランド(ヤンカー)
シアラン・マクメナミン(アーネスト・ゴードン大尉)
マーク・ストロング(ダスティー)
木村栄 サカエ・キムラ(イトウ軍曹)
マサユキ・ユイ(ノグチ軍曹)
ジェームズ・コスモ(マクリーン中佐)
佐生有語 ユウゴ・サソウ(通訳、ナガセ)
<ストーリー>
1941年12月8日、日本がハワイの真珠湾を攻撃して太平洋戦争に突入。開戦直後、日本軍はマレー半島に上陸し、次々にアジアを占拠していった。熱帯の地シンガポールもそのうちのひとつ。そんな中、マクリーン中佐率いる帰還中の小さなスコットランド部隊が日本軍に捕らえられ、ビルマ(現ミャンマー)の密林地帯の奥地にある捕虜収容所に強制収容されてしまう。
そこでは、ジャングル地帯を走る悪名高い“死の鉄道”(参考:「泰緬鉄道」のこと。第二次世界大戦中、アジア侵略を進める日本軍が物資輸送ルートのために敷設した軍事鉄道。タイ(泰)とビルマ(緬)をクワイ河に沿って結び420kmにも及ぶ)の敷設工事のために、何百人という連合軍の戦争捕虜たちが強制労働させられていたのだ。
日本軍の非人間的な虐待行為が日常的に繰り広げられる中、劣悪な生活環境や飢えから、捕虜たちは精神的にも肉体的にも蝕まれ始めていく・・・。
ある日、日本軍とのちょっとした口論からスコットランド軍のボスであるマクリーン中佐が虐殺されてしまう。この事件をきっかけに捕虜たちの緊張状態が途切れ、内部に蓄積されていた感情が一気に噴き出した。キャンベル少佐は復讐の思いを秘めながら、危険な脱出計画を企てはじめる。
一方で、敬虔なクリスチャンのイギリス人捕虜ダスティに触発されたアーネストは文学、哲学、芸術、そして「生きる」ということについて考える秘密の大学を死体置き場で開く。捕虜たちは徐々に自らの尊厳と希望を取り戻し、さらには、自己犠牲、彼らの敵に対する赦しの気持ちを育んでいく――しかしこの二つの対極の価値観は捕虜どうしの確執を増徴させ、次第に内部闘争へと発展していってしまう。
そんなとき、連合軍の爆撃機が収容所上空に姿を見せた。助かったと思う間もなく、連合軍の捕虜がいるのに気付かないのか、収容所ごと空爆され、日本兵も連合軍捕虜たちも大勢が死傷してしまう。
だが、戦局は明らかに変化を見せはじめていた・・・・。
<感想>
日本で公開しても集客できないと踏んでいるのか、いまだに未公開である。二名の当時の生存者もおり、「パール・ハーバー」のような娯楽大作色は一切ない。ドキュメンタリータッチの作品である。
日本軍の、国際条約を無視した捕虜の不当な扱いは悪名高く、
「戦場のメリー・クリスマス」 もジャワの収容所が舞台だったが、この作品は、戦メリで語られたような数名の中心人物たちの人間的内面の物語ではなく、キリスト教圏の欧米人には理解しにくい「武士道:ブシドー」「恥」「礼」「天皇のために個人の命は喜んで投げ出す」に戸惑う捕虜たちが、キリスト教的な隣人愛や、赦し、生きる意味、を模索しつつ、生きぬくために“希望”を
模索するヒューマンドラマである。
「人は希望を持つと苦しむが、希望を失えば死ぬ」
「憎しみの終着駅はどこだ。敵の目には自分が見える。」
彼らは、憎しみについて、考える。憎悪をたぎらせた敵の瞳に映るのは、同じく憎しみに淀んだ自分の姿。鏡が鏡を映すように無限に続くメビウスの輪をどこで絶ち切ればいい・・・
その答を、彼らは見出してゆく。生きるために。
これは、国家間の戦争がどうだったとか、他の国に比べて日本軍の捕虜の扱いは酷かったとか、そういう表面的なことを訴える作品ではない。
人間が極限状態のなかで、動物のようにではなく、どうしたら人間らのままでいられるか、自己の尊厳をどう保つか、それをテーマとした作品なのだと思う。だから、この映画にはハリウッド的なヒロイズム臭もお説教臭さもない。低予算で、よくここまで堅実な作品を作れたものだと感心する。
日本軍人の描かれ方に注目したい。
敵の日本軍曹たちにも、個性を与え、同じ人間なのだ、という視点を感じる。酒好き女好きでだらしがなく、いざとなると自分1人だけ金目のものを持って逃げてしまう器の小さな高官。捕虜にも部下にも鬼のごとく厳しいが、自分にも厳しく、ひたすら滅私奉公に全身全霊を捧げる、骨の髄まで「ブシドー」に染まった軍曹。でも、このイトウ軍曹もロボットのようには描かれていない。ダスティーを自ら磔にし、涙を流すイトウ軍曹を描いたことには意味がある。
そして、通訳のナガセ。虚弱体質で、戦闘経験はない、学者肌の
ナガセは、目の前で繰り広げられる惨劇に、ただ青ざめうろたえる・・・。地獄を目の当たりにして心を痛めてもどうすることもかなわない下士官の辛さ。アーネストとナガセは、学問を愛する者同士、静かに心を通わせていく・・・。
映画のモデルとなった2人の人物がDVDの特典で紹介されている。
原作者のアーネスト・ゴードン氏。1942年、捕虜となりクワイ河流域の捕虜収容所で泰緬鉄道敷設のための強制労働を強いられた。
終戦後は、大学教会の牧師に。2002年1月に亡くなった。
通訳のナガセのモデル、永瀬 隆氏。
青山学院大学で英語を学んだ彼は通訳を希望して入隊。1943年、タイに駐屯、カンチャナプリ憲兵分隊で捕虜の思想動向のチェックを任務とする。戦後は進駐英印軍で通訳をし、後に教師に。1986年、カンチャナプリにクワイ河平和寺院を建立(タイで僧の資格を取得)、現在もタイ国財団法人「クワイ河平和基金」を主宰・運営しておられる。
ところで、邦題(ビデオ・DVDの)と原題、かなりニュアンスが違う。「エンド・オブ・オール・ウォーズ」は、すべての戦争の終焉、であり、終わってしまっているのだ。
でも、この物語の原題とテーマは、「TO END ALL WARS」、すべての戦争を終わらせるために、だ。
考え続けなければいけない。異文化の国同士が、異なる価値観を持って戦うことの恐ろしさを。
今、アメリカはまったく異文化圏であるイラクとの戦闘準備に入っている。同じ惨劇を繰り返すことになるのではないのか・・・。
当時の日本人が天皇の名のもとに何でもしたように、イスラム教圏の彼らは、アラーの名のもとになら、何でもするだろう。その過激さは計り知れない・・・・。
今だからこそ、この映画の日本での公開が必要だと強く思う。
「反日映画」ではない。「反戦映画」だ。
ナチスの蛮行を描いたホロコーストをテーマにした作品が、「反ドイツ」目的ではないのと同じだと考えてみてほしい。
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