ワイルド・アット・ハート
【Wild at Heart】1990年・米
★1990年カンヌ映画祭パルムドール受賞
監督 デビッド・リンチ
脚本 デビッド・リンチ
原作 バリー・ギフォード“Wild at Heart”
撮影 フレデリック・エルムズ
音楽 アンジェロ・バダラメンティ
出演 ニコラス・ケイジ (セイラー)
  ローラ・ダーン (ルーラ)
  ウィレム・デフォー (ペルー)
  シェリル・リー(善い魔女)
  ダイアン・ラッド(マリエッタ)
  イザベラ・ロッセリーニ
  クリスピン・グローバー
<ストーリー>
セイラーの恋人ルーラの母親マリエッタは娘に偏執的な愛情を注いでいる。セイラーを殺そうとチンピラを向かわせるが、ルーラと、そしてマリエッタの前でセイラーはその男を惨殺してしまう。22ヶ月と18日後、矯正施設を出たセイラーはルーラを連れて、カリフォルニアへの逃避行を試みる。
激怒したマリエッタは私立探偵で恋人のジョニーに二人を見つけるように頼み、さらに昔の男、殺し屋サントスにも相談を。サントスの出した条件は、セイラーを殺したら、ジョニーも殺害し、元のサヤに戻ろう、というものだった。拒否するマリエッタだが、サントスは聞いちゃいない。裏世界を牛耳る“ミスターとなかい”にこの二件の殺人を依頼するのだった・・・。
その頃セイラーはテキサスの田舎町、ビッグ・ツナにいた。そこのモーテルでボビー・ペルーという、怪しげな元海兵隊員に出会う。
愛し合うセイラーとルーラは追ってから逃れられられるのだろうか。それとも、破滅の一路を辿るのだろうか・・・・!?

<感想>
リンチ監督特有の゛謎かけ”はあまりなく、リンチに馴染みがない方でも、すんなり入りこめる作品かもしれない。
『マルホランド・ドライブ』 の映像の妖しさ、狂気はそのままに、ストーリー進行は、『ストレイト・ストーリー』的にいたってシンプル、アタマの中がアメーバ状になる心配はない。

リンチ作品のシンボルである、暴力・セックス・狂気はこの作品でも過激度120%で展開されているが、この作品において、主人公であるセイラーとルーラは、いたってマトモであり、望んでいるのは破滅や堕落した将来ではない。愛する人と引き離されたくない、
その想いだけが彼らを走らせている。
そのあたりが、犯罪に手を染めながら走ることで生き甲斐を見出す
『ナチュラル・ボーン・キラーズ』の2人とは根本的に違う。

だが、陳腐なロード・ムービーに終始しないのは、彼らの呪われた過去と、それを象徴する゛炎”の映像の妖しげな美しさのおかげだ。火をつけると、悦楽をもたらしながら短くなって消えて行く煙草。人間に死をもたらす炎、2人の決して消えない愛の炎。
炎は、媒体となるものを消滅させながら燃え盛るのだ・・・・。

ニコラス・ケイジと、ローラ・ダーンの気持ちのいいキレっぷりが
いい。明らかにヘンだが、人間としてドロップアウトしない。
゛黄色いレンガの道をどこまでも辿ろうと”(オズの魔法使いをイメージしている)しているのだ・・・。誰にも邪魔されない2人の生活を目指して・・・。

オズの魔法使いがやたらと出てくるが、特にストーリー的になぞっているわけではない。ルーラがオズの魔法使いの物語に執りつかれている。何かが起こるたび、西の悪い魔女が追ってくると怯える。
まさに母親が、その悪い魔女の象徴であり、彼女が死なないかぎり、ルーラを縛る呪縛は解けないだろうことを観客に暗示している。
ラストで白い魔女がポワ〜ンと空に浮かんだときには、あまりのギャップ(コメディタッチだったので)に目が点になったが、こういうミスマッチを恐れないところが鬼才リンチなのか。

「魂の自由を信じる俺って人間のシンボルだぜ」(セイラー、ヘビ皮のジャケットを誇示して)

「この世って、ハートはワイルドで、外側は、謎ばかり。」(ルーラ)

「俺のハートはワイルド(wild at heart)だからダメなんだ」
(セイラー)
「本当にハートがワイルドなら、夢を目指して闘うのよ!
愛の背を向けないで・・・」(善い魔女)

ところで、誰が怖いってペルーを演じるウィレム・デフォー。
あまりに強烈な死にっぷりに思わず笑ってしまった。

ラストシーンの甘い甘い“ラブ・ミー・テンダー”(しかもBGMではなくニコラス・ケイジが歌っている)に、思わずウットリしてしまった私は素直なのかおバカなのか。

ともかく、血まみれと吐瀉物が生理的にダメでなければ、楽しめる作品だ。


コメント

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

まだテーマがありません

日記内を検索