『父の祈りを』

2003年2月13日
父の祈りを
【IN THE NAME OF THE FATHER】1993年アイルランド・英
監督:ジム・シェリダン
原作:ジェリー・コンロン
脚本:テリー・ジョージ・ジム・シェリダン

俳優:ダニエル・デイ・ルイス(ジェリー・コンロン)
   ピート・ポスルスウェイト(ジュゼッペ)
   エマ・トンプソン(弁護士)
   ジョン・リンチ(ポール)


<ストーリー>

1974年、混乱の続く北アイルランドでコソ泥に明け暮れるジュリーはIRAに目をつけられ、ほとぼりがさめるまで英国に渡り、まともな仕事を探せと父親ジュゼッペに説得されロンドンへ渡る。

しかし、そこでもたまたま再会した悪友ポールと自堕落に暮らしていたが、彼らのいたロンドンから約50km離れたギルフォードのパブで爆破テロが発生。IRAテロリストの摘発に焦る警察に捕えられ,テロリスト防止法によって彼らは拘留された。

アリバイを証明することもできず、暴力と脅迫に屈したジェリーとポールは供述書に署名してしまう。そして,心配して駆けつけた父も理由なく共犯に。なんと、ジェリーの叔母一家まで、爆弾製造の罪で、確固とした証拠もなく14歳の子供まで揃って逮捕投獄されてしまうのだった。

そして父と子は同じ刑務所に投獄された。ジュゼッペは再審を訴え続けていたが、ジェリーはふてくされ無為な日々を送っていた。
ある日、一人のIRAの闘士が刑務所に送られ、例の爆破は自分の犯行で、当局は真相を知っていながら隠蔽していると告白する。しかしジュゼッペは次第に健康を害し、獄中で無念の死をとげた。

事件から15年以上が経過し、ジェリーは父の汚名を晴らすため再審請求運動に身を投じていた。女性弁護士ガレスは警察当局の不正の証拠を握り、遂に法廷で再審請求を勝ち取る。いよいよ再び法廷に立つ日が来た・・・・。


<感想>

『マイ・レフトフット』(1989年)の監督・主演コンビが、世界的な関心を集めた冤罪<ギルフォード四人組>事件の被害者の一人ジェリー・コンロンの手記をもとに練り上げた映画。U2のボノが主題歌など4曲でこの作品に参加している。

IRA、アイルランド、英国の問題はそう過去のことではなく、
この事件も、記憶しておられる方も少なくないかもしれない。
だが、映画では国家間の事情よりも、『冤罪との苦闘』『父と息子の絆』がテーマだ。

免罪で何十年も投獄・・・といえば、稀代の名作『ショーシャンクの空に』を連想する。『ショーシャンクの空に』でも、真犯人が
別の罪で同じ刑務所にいるが、事実を知った者は腐敗した刑務所長に殺害されてしまい、証拠も再審の希望も0になってしまう。
だから主人公は法に頼らず自力で人生を取り戻そうとする。

『父の祈りを』では、真犯人がコンロン親子は無関係だと証言しているにも関らず、いったん裁判で有罪としてしまった以上、司法の恥となるという理由で、真実は放置される。自らの保身と国家の威信のために、罪なき一家や将来ある若者、合計11名の未来と人生の時間を奪った英国警察。憤慨せずにおられようか。弁護士とて、もしもあの「弁護側には見せるな」の決定的なメモが見つからなかったら、立証できただろうか。日本の司法では、「疑わしきは罰せず」。決定的な証拠がないかぎり、限りなく黒に近くても、冤罪と避けるため有罪にはしない。だが、欧米諸国では「陪審員制度」。
この制度は恐ろしい。素人の集団が感情で他人の人生を永久に奪うこともできてしまうのだ。警察だけではなく、陪審員にも免罪の場合責任を問うべきだ。英国の法廷で北アイルランド人が裁かれる。
敵対関係にある国の人間を、一般国民が冷静に裁けるとはとうてい思えない。

本作は英国・アイルランドの共同制作。他の作品からも充分伺えるように、「粘り強い」国民性だ。
父ジュゼッペは、警察がルールを破ろうと、自分は決してルールを破らない。ひたすら、ルールにのっとって、愚痴もこぼさず静かに静かに地道に机に向かい、救済運動を求める活動を続ける。
息子ジェリーはヤケをおこしただ荒れているのみ。
だが、父の無念の死をいっかけに変る。自分の自由のためにだけではなくなった。父の雪辱を晴らさねばならない。人間の尊厳のために闘うと腹をくくってからのジェリーの変貌ぶりを、さすがの演技力でダニエルが演じきっている。

仲のよい親子ではなかった・・・・。父は息子に期待し、息子は期待に応えられない悔しさから反抗的になっていった。
逆境に追い込まれ、2人きりで狭い監房の中で過ごし、見えてくるのは壁と、それぞれの姿だけ。こんな状況にならなければ理解できなかった、父への深い愛、父への尊敬、父がどれほど自分を深く愛してくれていたか・・・・・。それがやるせない。

この素晴らしい寡黙な父を演じているピート・ポスルスウェイト
は、『ブラス!』のダニー役で、やはり頑固で家族を愛する父を演じており、その、威厳と優しさの同居した風貌に心惹かれた俳優だ。本作でも、見事としかいいようのない名演ぶりである。

罪が晴れても、失った15年間と土足で踏みにじられた人間の誇りは戻ってこない。ホっとしながらも、後の裁判で事実を隠蔽した警官たちが無罪となったことに英国法廷への怒りは収まらない。

原題のIN THE NAME OF THE FATHERは「父の名において」。
父の名にかけて、きっと雪辱を晴らす、という意味だろう。

邦題の「父の祈りを」も悪くない。父は汚名を晴らすこと
だけを望んでいたのではない。息子が人間的に立派に成長すえうことを、残された家族が無事に暮らせることを、ひたすらに祈り続けていた。敬虔なカトリックだった父が「聖母マリアの御名において」とひざまずき祈っていた姿が目に屋焼きついている・・・。


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