「トンネル」

2003年2月15日
トンネル
【DER TUNNEL】 2001年・独
監督 ローランド・ズーソ・リヒター
脚本 ヨハネス・W・ベッツ
撮影 マルティン・ランガー
俳優:ハイノ・フェルヒ (ハリー)
   ニコレッテ・クレビッツ (フリッツィ)
  ゼバスティアン・コッホ (マチス)
   フェリックス・アイトナー (フレッド)
  クラウディア・ミチェルゼン (マチスの妻、カロラ)
  アレクサンドラ・マリア・ラーラ(ハリーの妹、ロッテ)
  ウーベ・コキッシュ(クリューガー大佐)
  マフメット・クルトゥルス(ヴィーク)
  ハインリヒ・シュミーダー(テオ)

1961年から1989年まで、ベルリンの街を東西に分断していた壁。それに抗った人々がいた。
水泳選手としてのキャリアを捨て、アメリカ兵ヴィーク経由で手に入れた偽造パスポートで西ベルリンに逃亡したハリーは、壁の向こう側に残してきた妹を救出したかった。彼の友人でエンジニアのマチスは、下水道経由での逃亡の際に逃げ遅れ、一人捕らえられた身重の妻カロラを助けたかった。そして、フリッツィは東側の青年団に所属する恋人を脱出させたかった。彼らが企てたのは、壁の真下に地下トンネルを通し、東側のアパートの地下室に繋げるという計画。
秘密裏に、愛する者たちを救うための長い苦闘が始まった・・・。


[参考までに]
第二次大戦後、敗戦国ドイツは東西ふたつの国に分断された。
旧ドイツの首都ベルリンも東西ふたつの区域に分割されたが、
東ドイツの住民の多くは、共産主義者ではなかったし、食料も少なく、娯楽もなく住む場所も管理される東での生活に耐えかね、多くの人々が西ベルリンや西ドイツに流出した。国家の威信と、労働力の確保のため、東ドイツは、1961年8月13日、西ベルリンの周囲全域を有刺鉄線などの“壁”で封鎖。同15日、コンクリート・ブロックが積み上げられ、同23日、西側へのすべての輸送・交通網が遮断され、数十万人の家族が東と西で引き裂かれることになった。壁の建設が終わった時には、長さ約166キロ、高さ約2メートル、上には鉄条網が張り巡らされていた。壁が崩壊するまでの28年間、西ベルリンへの脱出を試みた人は5000人以上。200人以上が射殺され命を落している。

凄いとしかいいようがない。事実に基づく政治陰謀ものであり、脱出アクション劇であり、友情の物語であり、家族愛の物語であり、悲恋物語であり、ラブストーリーでもある。人々は、苦悩し、衝突し、疑心暗鬼になり、恋をし、情熱を燃やし、絶望し、激怒し、落胆し、歓喜する。

我々日本人は、できあがった壁しかまず知らないし、若い世代になると、崩壊後の統一ドイツしか知らないかもしれない。それだけに、1日、1日と、“壁”が積み上がり強固なものになっていく克明な描写、壁一枚超えようとすれば背中から銃殺されるという悲劇にショックをうける。

ブランデンブルク門が東側の兵士によって封鎖される。そして、小銃を手にした東側の兵士の人垣ができる、これが“壁”のはじまり。並行して有刺鉄線の柵が作られる。鉄線に傷ついても、身ひとつで数十センチ先の“自由”に飛びこむ者がいる。そして、レンガの壁が築かれ、日に日に高さを増していく。トラックごと、まだ1
m程度の出来立てのもろいレンガの壁に突っ込み、自由を手にする
者がいる。レンガは鉄筋コンクリートに変り、高さは2mになり、監視塔が建てられ、警察犬や戦車が動員され、壁に近づくと容赦なく射殺される・・・・・・・。もう、壁を直接体当たりで突破するのは不可能に。その経緯が背筋の凍るようなリアリティで描かれていく。

東側に残され、亡命者の家族として政府に四六時中監視され、脅迫を受け続ける者たちの苦悩と恐怖心。それを知りながら、どうしてやることもできず、救出の日に向けて、ひたすら汗と泥にまみれシャベルをふるう兄や夫や息子たち。

どこかでトンネルを掘っているらしいという情報が東側に洩れてから、事態はさらに緊迫する。情報が漏れた経緯があまりにも非人道的で驚愕であり、そこもこの映画の見所であろう。

そんな中、フリッツィは壁を超えようとした恋人が銃殺される音を聞く。ほとんど主人公たちの目線の高さで撮影してきたカメラが、
ここで初めて壁の真上から壁というモノと国に引き離された恋人たちの永遠の別れを映し出す。あまりにも衝撃的だ。壁一枚隔てて、血を流しもがき息絶えていく青年。彼に指1本触れることすらかなわなず、叫び続けるフリッツィ。そして、思わず発砲してしまったまだ若い東側の兵士が混乱して発砲し続ける狂気・・・・。
救う対象がいなくなった彼女がその後どうするのか、それはご覧になって確かめていただきたい。

この作品で特筆すべきは、登場人物が多いのに、1人1人に丁寧にスポットを当て、観客がそれぞれ複雑な立場、事情をもつ人物たちに、感情移入しやすいという点だろう。

最後の40分ほどは、固唾を飲み、手に汗握り、祈るような気持ちで観ていた。

北朝鮮の脱北者問題がクローズアップされている今、イデオロギーの前には個人の生命や自由など羽より軽く扱われてしまう恐ろしさを、我々はもっと知るべきだ。

映画中にも出て来るが、アメリカのTV局が、彼らに資金提出するひきかえに、このトンネル掘りをドキュメンタリー番組として
撮影しており、壁が崩壊した現在でも、繰り返し放送されているという。TVカメラを通したトンネル掘りの映像も多用されており、
リアリティを増している。

ハリー役のハイノ・フェルヒ、逞しく頑固な風貌が、若い頃のブルース・ウィリス似。信念を貫く屈強な男を好演している。
ヒロイン、フリッツィ役のニコレッテ・クレビッツは、『バンディッツ』 でエンジェルを演じていた美女だ。
闘う女の強さと、恋する女の弱さを持ち合わせた溌剌とした女性
フリッツィを圧倒的な存在感で演じている。

そして、ほぼたった1人で『東側政府=非人道的』のイメージを背負ってクリューガー大佐を演じているウーベ・コキッシュがいい。
信じたイデオロギーのためには何でもする男を鉄のように演じている。
現実には、東側とて、もっとさまざまな政府の役人や、兵士たちも
いたであろうが、「映画作品」として、「東」を1人の権力者に
しぼって語らせたのは、成功だったのではないだろうか。


イオデオロギーは様々でいい。世界中、同じであるほうが不自然だ。だが、個人のイデオロギーと住んでいる国のイデオロギーが違うと殺される・・・それは、許しがたい。神への冒涜だ。彼らが求めた“自由”は、フリーセックスに興じたり、酒を飲み、気侭に遊べる悦楽的な人生のことではない。信じたいものを信じ、住みたいところに住み、会いたい人と会える、それだけなのだ。そして、それが“自由”なのだ。

是非、多くの方にご覧になっていただきたい作品である。

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