「ショーシャンクの空に」
2003年2月16日ショーシャンクの空に
【The Shawshank Redemption】1994年・米
監督:フランク・ダラボン
脚本:フランク・ダラボン
原作:スティーブン・キング 『刑務所のリタ・ヘイワース』
俳優:ティム・ロビンス (アンディ)
モーガン・フリーマン (レッド)
ウィリアム・サドラー
ボブ・ガントン
ジェームズ・ホイットモア
★95年アカデミー賞主要7部門(作品賞、主演男優賞、脚色賞、撮影賞、編集賞、楽曲賞、音響賞)ノミネート
★95年ゴールデン・グローブ賞主要2部門(男優賞、脚色賞)ノミネート
★95年度キネマ旬報外国映画作品賞、読者選出外国映画監督賞、読者選出外国映画ベスト・テン第1位
★95年度日本アカデミー賞外国語映画賞
★95年度毎日映画コンクール外国映画ベストワン賞
★95年度報知映画賞外国作品賞
★95年度日本映画批評家賞外国映画部門作品賞、男優賞
★95年度スクリーン執筆者選出外国映画ベストテン第1位
若き銀行副頭取アンディは、妻とその愛人の殺害容疑で逮捕され、
無実の訴えも空しく終身刑となった。ショーシャンク刑務所に収監された彼ははじめ、絶望から他の受刑者を避けていたが、やがて年配の黒人、“調達屋”のレッドと友情を築いていく。時は流れ、アンディは前職の腕前を買われて刑務所長や看守たちの財産運用を手助けするようになり、図書館の整備にも携わり、刑務所内で一目置かれる存在となっていく。そんなある日、アンディの妻殺しの真相を知る男が入所してきた。20年目にして無罪証明のチャンスがやってきたが、所長の陰謀により彼の訴えは脆くも握りつぶされてしまう。復讐心と希望の火を心の奥底で静かに、赤々と燃やすアンディは・・・・・。
いまや、すでに“映画ファンの踏絵的存在”になっているこの作品だが、これだけ、何年経っても新しいファンを増やし続けている作品も稀有だろう。劇場公開時には、さして大ヒットしたわけではない。口コミで、人から人へ伝わり不朽の名作となった。
上のあげた数々の賞、よくご覧になると、日本での賞が多い。
アカデミー賞は、実は『フォレスト・ガンプ/一期一会』が
かっさらっており、本作はノミネート止まりとなった。
国民性の違いだと私は思っている。“偶然”(まさに一期一会)
が全篇を支配する『フォレスト・ガンプ』に比べて、本作は
「ド根性」「決して諦めないこと」「執念」「友との約束」
といった、日本的ガンバリズムが全篇を貫いており、共感を呼んだのではないだろうか。
だが、地べたを這うような「忍耐」の物語ではない。そこが、映画作品として愛され続ける所以なのだ。
実に巧みに張られた伏線に観客が気付くのは、最後の最後。なるべくならば、映画の後で原作を読まれたほうが、純粋に楽しめるはずだ。
私の稚拙な文章力では、この作品の魅力はとても語りきれない。
語れば語るほど、何かが逃げてしまうような気がして言葉少なになる作品なんて、今のところ、他にない。
レッドのセリフに、すべてを託そう。
“Get busy living or get busy dying.That’s goddamm right.”(必死に生きるか、必死に死ぬか、まったくもってそのどっちかだよ)
ティム・ロビンス、そしてモーガン・フリーマン。演技派二大俳優の声、表情。何年経っても鮮やかに記憶に蘇る。
刑務所の灰色の高い壁から見えていた澄んだ青空。でも、その青空の真の価値を知る者とは、理不尽に自由を奪われた者だけなのだろう。友レッドが待っている“海”。海の青さを夢見る『希望』。
人間は、希望を持つから苦しむ。諦めれば苦しくないかもしれない。だが、死んだ心を宿したもぬけの肉体に何の意味があろうか。
そう、希望がなければ、人の心は石でできたチェスの駒のように
自分では何もできず何も考えられない石ころになってしまう。
・・・生きてはいけない。
アンディは考えることも、想うことも、そう、苦しみも放棄しなかった。それがどれほど辛いことであっても。
暗く暗く果てしなく長い穴の先は見えない。見えないものを見ようとした者にだけ、慈雨が降り注ぐのだ・・・。
“Remember,REd. Hope is a good thing,maybe the best of things,and no good things ever dies.”
(アンディ:レッドへの手紙の締めくくり)
“I hope.”(映画のラストはレッドのこのセリフである)
【The Shawshank Redemption】1994年・米
監督:フランク・ダラボン
脚本:フランク・ダラボン
原作:スティーブン・キング 『刑務所のリタ・ヘイワース』
俳優:ティム・ロビンス (アンディ)
モーガン・フリーマン (レッド)
ウィリアム・サドラー
ボブ・ガントン
ジェームズ・ホイットモア
★95年アカデミー賞主要7部門(作品賞、主演男優賞、脚色賞、撮影賞、編集賞、楽曲賞、音響賞)ノミネート
★95年ゴールデン・グローブ賞主要2部門(男優賞、脚色賞)ノミネート
★95年度キネマ旬報外国映画作品賞、読者選出外国映画監督賞、読者選出外国映画ベスト・テン第1位
★95年度日本アカデミー賞外国語映画賞
★95年度毎日映画コンクール外国映画ベストワン賞
★95年度報知映画賞外国作品賞
★95年度日本映画批評家賞外国映画部門作品賞、男優賞
★95年度スクリーン執筆者選出外国映画ベストテン第1位
若き銀行副頭取アンディは、妻とその愛人の殺害容疑で逮捕され、
無実の訴えも空しく終身刑となった。ショーシャンク刑務所に収監された彼ははじめ、絶望から他の受刑者を避けていたが、やがて年配の黒人、“調達屋”のレッドと友情を築いていく。時は流れ、アンディは前職の腕前を買われて刑務所長や看守たちの財産運用を手助けするようになり、図書館の整備にも携わり、刑務所内で一目置かれる存在となっていく。そんなある日、アンディの妻殺しの真相を知る男が入所してきた。20年目にして無罪証明のチャンスがやってきたが、所長の陰謀により彼の訴えは脆くも握りつぶされてしまう。復讐心と希望の火を心の奥底で静かに、赤々と燃やすアンディは・・・・・。
いまや、すでに“映画ファンの踏絵的存在”になっているこの作品だが、これだけ、何年経っても新しいファンを増やし続けている作品も稀有だろう。劇場公開時には、さして大ヒットしたわけではない。口コミで、人から人へ伝わり不朽の名作となった。
上のあげた数々の賞、よくご覧になると、日本での賞が多い。
アカデミー賞は、実は『フォレスト・ガンプ/一期一会』が
かっさらっており、本作はノミネート止まりとなった。
国民性の違いだと私は思っている。“偶然”(まさに一期一会)
が全篇を支配する『フォレスト・ガンプ』に比べて、本作は
「ド根性」「決して諦めないこと」「執念」「友との約束」
といった、日本的ガンバリズムが全篇を貫いており、共感を呼んだのではないだろうか。
だが、地べたを這うような「忍耐」の物語ではない。そこが、映画作品として愛され続ける所以なのだ。
実に巧みに張られた伏線に観客が気付くのは、最後の最後。なるべくならば、映画の後で原作を読まれたほうが、純粋に楽しめるはずだ。
私の稚拙な文章力では、この作品の魅力はとても語りきれない。
語れば語るほど、何かが逃げてしまうような気がして言葉少なになる作品なんて、今のところ、他にない。
レッドのセリフに、すべてを託そう。
“Get busy living or get busy dying.That’s goddamm right.”(必死に生きるか、必死に死ぬか、まったくもってそのどっちかだよ)
ティム・ロビンス、そしてモーガン・フリーマン。演技派二大俳優の声、表情。何年経っても鮮やかに記憶に蘇る。
刑務所の灰色の高い壁から見えていた澄んだ青空。でも、その青空の真の価値を知る者とは、理不尽に自由を奪われた者だけなのだろう。友レッドが待っている“海”。海の青さを夢見る『希望』。
人間は、希望を持つから苦しむ。諦めれば苦しくないかもしれない。だが、死んだ心を宿したもぬけの肉体に何の意味があろうか。
そう、希望がなければ、人の心は石でできたチェスの駒のように
自分では何もできず何も考えられない石ころになってしまう。
・・・生きてはいけない。
アンディは考えることも、想うことも、そう、苦しみも放棄しなかった。それがどれほど辛いことであっても。
暗く暗く果てしなく長い穴の先は見えない。見えないものを見ようとした者にだけ、慈雨が降り注ぐのだ・・・。
“Remember,REd. Hope is a good thing,maybe the best of things,and no good things ever dies.”
(アンディ:レッドへの手紙の締めくくり)
“I hope.”(映画のラストはレッドのこのセリフである)
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