「カンダハール」

2003年2月18日
カンダハール
2001年 イラン・フランス
★2001年カンヌ国際映画祭エキュメニック賞(国際キリスト教会審査員賞)
★2001年ユネスコ<フェデリコ・フェリーニ>メダル
監督・脚本・編集:モフセン・マフマルバフ
俳優:ニルファー・パズィラ


<ストーリー>

舞台は20世紀最後の皆既日食が訪れた1999年8月のアフガニスタン。
アフガニスタンからカナダに亡命した女性ジャーナリストのナファスは、ある日祖国に残した妹から絶望の手紙を受け取る。“間近に迫っている日食の前にその命を絶つ”と。
妹は地雷によって片足を失い、そのため亡命をあきらめ、アフガニスタンに残ったのだ。20年に及ぶ内戦が続く祖国を捨てたナファスだったが、最もタリバンの支配力の強いカンダハールの街に住む妹を救うことを決意し、イランからアフガニスタンの国境を越える。日食まであと3日、それまでにカンダハールへ、妹に再び生きる希望を与えるために旅を続けるナファスだが・・・。


<コメント>


マフマルバフ監督のこのスピーチは大々的に報道され、聞き覚えのある方も多いだろう。
「アフガニスタンの仏像は、(タリバンに)破壊されたのではない。恥辱のあまり崩れ落ちたのだ。」

この映画が撮影されたのは、アメリカ同時多発テロよりも前。
テロがきっかけで、世に広まった作品である。

内容的には、ロード・ムービー的手法で、アフガニスタンの現在、を衝撃的に世界に訴えている。この国への世界の無関心さを告発した作品、といってよいだろう。

タリバン政府は女性の権利を一切認めない政策を行っていた。
それは、アフガン南部の保守的なパシュトゥン人社会しか知らない
タリバン中枢部には常識でも、都市部の教育をうけた女性たちには
牢獄でしかなかった。映画の中で「最後の授業」がある。タリバン支配化では、女性は修学禁止になったからだ。
そして、そこで行われる授業は、「地雷を踏まない歩き方」。
人形を拾うと爆発する“人形地雷”を決して拾わないこと。
背筋の凍る話である。
教師は最後に女性たちに言う。
「たとえ塀が高くても、空はもっと高い。もうあなたたちは家から1歩も出られないが、そんなときは、アリになったと想像してごらんなさい。家が広く感じられるでしょう。」

ナファスは、家に監禁され教育どころか外出もままならないカンダハールでの人生に終止符を打とうとする妹を救いに行くのだ。

イラン国境の難民キャンプから始まり、神学校を追放された少年、診療所につとめるブラック・ムスリムのアフリカ人、地雷で脚を失い、義足を奪い合う人々等、様々な人との交流を重ねながら
炎天下の砂漠を進むナファスの旅・・・ネタバレになるが、
映画中では何も解決しない。
脱出劇も救出劇も決定的な破滅もないまま、静かな日没で終わる。絶望を暗示するかのように・・・・。それはアフガニスタンの将来を象徴するかのような、夕暮れ。

神学校で少年たちが教わるのはお経の読み方と武器の扱い方。習得するとタリバンへ送られ、大出世。食うに困らないためにはそうするしかないという現実。タリバンを憎んでいても、神学校に息子を入れれば、食いブチも減り、将来も約束されるので母親は必死で入学させようとする。

赤十字から義足がもらえるまでに約1年待ちという現実。道で義足を売るヤミ商人。

唯一のフィクションだという、パラシュートで義足が降ってくるのを、松葉杖の片足の男たちが追いかけ奪い合うシーン。あまりにシュールで事実よりもより一層生々しく“アフガニスタンの現実”が響いてくる。

空から降ってくるのが爆弾でなく義足だったら・・・不思議と痛々しいというよりも、嬉々として突進する姿に、希望にすがる人々の
逞しさを見た。


我々には想像もつかない過酷な内戦を、銃撃戦や死体の山なしに、
淡々と、彼らの“日常”・・・死体から指輪を抜き取り売る子供、
ブルカに髪からつま先まで埋まりながら、化粧に余念のない女性たちの逞しさを絡めて描き出している。

ナファスを演じるのは、実際にアフガニスタンからカナダへ亡命したジャーナリスト、ニルファー・パズイラ。事実では、手紙の主は友人であって妹ではなかったそうだが、他の点は彼女の実体験に基づくものだそうだ。

アフニスタンの平均寿命は38歳。5歳未満の死亡率25%だ。
そんな国で医師として働くブラック・モスリムの男の言葉が
印象的だった。
「人には生きるための理由がいる。
きびしい状況下では“希望”がその理由だ。」

タリバンが崩壊した今、彼らの生活は、TVのニュースで報道されているほど、本当に改善されつつあるのだろうか・・・・・。

映画作品としてどうかと問われれば、安っぽいホラーの数倍、本物の恐怖とスリルを味わえる。その代償として、“知った”観客は何をしたらよいのだろう・・・・。アフガニスタンを取り巻く状況に
関心を持つ続けてほしいという監督のメッセージは受けとめた。

政府と政府の衝突で苦汁を飲むのはいつの時代も、最も力なき
最下層の者たちだ。イランとアメリカが開戦しても、アメリカに餓死者は出ないだろうが、中東の難民の死者数が増えることだけは間違いのないことだろう。


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