「髪結いの亭主」

2002年11月3日
『髪結いの亭主』
【le Mari de la Coiffeuse 】
1990 年 仏
監督: パトリス・ルコント
出演: ジャン・ロシュフォール
    アンナ・ガリエナ
    トマ・ロシュフォール

<ストーリー>
少年時代、セクシーな床屋の女性に憧れ通い詰めたアントワーヌは、大人になってもフェティッシュに
美しい髪結いを捜し求める。そしてついに、美しい乳房をもつ髪結いを経営する女性の夫となる。2人の狂おしいほどの恋と性愛を描く映像美の傑作。

<感想>
こういう、筋はあるようでないような、感覚的な映画、フランス特有ですね。監督の、女体に対する崇拝ともとれるほどの繊細なカメラワーク、脱帽です(笑) 乳首の見えない乳房を、これだけ官能的に描いた作品は、ないでしょう。
ラストの展開については、論争を呼んだようですが、女の側から見て、共感できる部分は十分にあります。あの2人の間にあるのは「愛」ではなく、「恋」であり、つまり、「いつかうつろい消えてしまうもの」なのです。彼女はそれが恐かった。

あえて言えば、アントワーヌの男性的魅力が、観客には伝わりづらいのでは・・・。
この現実感のなさ(一日中、妻の立ち働く姿を見ているだけのヒモ状態の夫)が、多くの観客に、「ラスト以外はすべて彼の妄想だったのでは・・・」と
思わせた所以かもしれません。

「英雄の条件」

2002年11月2日
『英雄の条件』
【Rules of Engagement】2000年・米

監督:ウィリアム・フリードキン
俳優:トミー・リー・ジョーンズ
   :サミュエル・L.ジャクソン
   :ガイ・ピアース
   :ブルース・グリーンウッド
   :ベン・キングスレー

<ストーリー>
現題の『RULES OF ENGAGEMENT』とは米海兵隊員が作戦遂行中に従うべき[交戦規定]のことである。

中東イエメンでアメリカムーラン大使館が、大規模なデモ隊に包囲された。大使家族に身の危険が迫る中、米軍海兵隊による救出作戦が決行された。ミッションは成功に終わったが、多数の一般市民が海兵隊の無差別銃撃によって死亡。この事件は、全世界を揺るがせ、人道主義を踏みにじる行為として非難され、アメリカ合衆国の威信を失墜させるに十分な物となった。合衆国として、発砲命令を下したチルダーズ大佐に全ての罪をかぶせようとする検事と国家安全保障補佐官。彼の弁護士となったのは、かつてチルダーズにベトナムで命を救われた退役軍人、ホッジス大佐。戦場を知らないエリート将校たちを相手に、最前線に送られて、命がけで任務を遂行し
てきたすべての海兵隊員の誇りと、チルダーズヘの友情と恩をかけて法廷で闘う決意を固めるのだが・・・。
チルダーズの発砲命令は、果して軍人としての英雄的な行為か?それとも、極限状態における狂気によるものなのか・・・?

<感想>
部分的には、「いいシーン」はある。が、
正直な感想、「これが90年代から急増した、“アメリカは絶対正しいぞ”映画だな〜( ̄∇ ̄;)」
W・フリードキン監督といえば、「エクソシスト」。あの作品は、「聖書」に基づいた二元論だった。今回は、「交戦規定」を根拠とた二元論で語られている。あの状況を、二元論で語ってしまうとこをが、すでに「アメリカ病」だ。

だが、ここで思考停止してはもったいないので、
『思想』はさておき、別の角度から、『映画作品』として考えてみよう。展開としては面白いと思うのだ。だが、最後までどうしても謎なままだったのは、隠滅された証拠のビデオと、チルダーズの記憶の中では、民衆は確かに武装して、子供までが銃をぶっぱなしていた。だが、何故、その直後に撮ったはずの死体の傍の写真に、武器が1つも落ちていない?
イスラムをとことん悪く描きたいなら、生き残った武装ゲリラが武器を回収してまわるシーンなり、それを予測させる何かが必要ではないか?
あの「写真」は誰が撮影したのだろう。イスラムのマスコミによる情報操作だとも考えられなくはないが、それなら、いっそそのシーンを描いたほうが、イスラム人をもっと腹黒く描けるぞ?
そこまでは、中東の反応が恐くてできないか?(苦笑)
また、観客も、チルダーズが見たもの(武装ゲリラが民衆に混じっていた)を、見ていない。つまり。命令を受けたリーと同じ心情におかれたわけだ。
戦場をまったく知らない私でも、あの位置関係なら、屋上の狙撃手だけを撃てば、ミッション(大使救出)は済んでいるので、現場から引き揚げられたはずだとわかる。ましてや、百戦錬磨のチルダーズならば。
あの、身を守る壁も建物もないベトナムの森で生きぬいた「英雄」が、応戦しなければヘリに戻れないと、何故判断した?
そこがわからない・・・・・。そこに説得力をもたせるような(応戦しなければ、生還不可能だと観客が思わずにはいられない)映像であれば、もっと観方も心情も違っていたと思う。

トミー・リー・ジョーンズやサミュエル・L.ジャクソンの演技は、皮肉なようだが、巧かった。
「人間である前に、アメリカ海兵隊である」アメリカ人を、ガッチリ演じていたからである。
偏執的なまでの愛国心と、仲間意識と、そして、耳をかすめる弾丸の恐怖を知らない「お上」への怒りと苛立ち。 最後まで、ここが強調されていた。
「ベトナムでの兵士の平均生存期間は?」と問うホッジズ大佐。銃弾の恐怖を知らないエリート君は、「1週間」と答える。「16分。」

せんだってレビューを書いた「プライベートライアン」でも書いたことだが、アメリカ本土にいて、現場の恐怖を知らない上層部と、実戦部隊の隊長との確執、そこに論点をもってくれば、題材は同じでも、もっと興味深い作品になったであろう。

「プライベートライアン」は、明らかに「アメリカの奢り」を痛烈に指摘した作品だが、この作品からは、「アメリカ人を憎むイスラム人なんぞ、武器を持ってりゃ女も子供も殺しちゃっても正当防衛」という結論しか出てこなかった。
公開当時、イエメンから強烈な反発があったそうだが、そりゃ怒るだろう。
映画は社会を写す鏡という。あのテロのおきる1年前の公開されたこの映画に、責任はまったくなかった、と断言できるのだろうか?



「菊豆」

2002年11月1日
『菊豆(チュイトウ)』
[Judou]
1990年【日・中】
監督 :張芸謀(チャン・イーモウ)
配役 :菊豆 ・・・ 鞏俐(コン・リー)
天青 : 李保田(リー・パオティエン)
金山 : 李緯(リー・ウェイ)

<ストーリー>

イーモウ監督作品、第二作目。
舞台は1920年代、中国の農村。年老いた不能の染物屋に金で買われて嫁いだ若く美しい菊豆。
老人は、後継ぎ息子が欲しいが不能で出来ない腹いせに夜な夜な菊豆をサディスティックに折檻する。
菊豆はこのままではいびり殺されると嘆き悲しみ、そして、老人といっしょに暮らしこき使われている甥の天青に思いを寄せるようになる。やがて天青との子供ができてしまうが、鬼のような老人は自分が父親だと喜ぶ。だが、2人の燃え上がった欲情の炎と、老人への憎しみは、もう止まらない・・・・。

<感想>
イーモウ監督というと、幸せ三部作しか知らない、あるいは「初恋のきた道」しか観たことのない方には、かなりショッキングな作品かもしれない。

封建社会の禁忌、そして肌の露出こそほとんどないが、息を飲むエロティシズム。
濡れた染布は女体のようにしない、そのこってりした色彩は濃艶な媚びに輝いている。不倫の二人を沈黙の視線で裁きつづける息子、天白の暗澹とした眼差しすら、鳥肌が立つ。

仕事場に先祖の祭壇があり、その前で繰り広げられる背徳と殺戮。
天白は先祖の遣わした裁き人なのかもしれない。

陰惨でありながら妖艶。それは、そのまま人間の性であり、業なのだ。
『ロレンツォのオイル/命の詩<うた>』
[Lorenzo’s Oil]
1992年【米】 監督 :ジョージ・ミラー
男優 :ニック・ノルティ
  :ピーター・ユスチノフ
女優 :スーザン・サランドン
脚本 :トニー・ピアース・ロバーツ


<ストーリー>
これが、実話だということに衝撃を受ける。
1980年代アメリカ。6歳の少年ロレンツォは、当時はごく稀な難病であったADL(副腎白質ジストロフィー)を発症する。それは、母親から男児にしか遺伝しない、特殊な遺伝病であった。アメリカでも、10年ほど前にやっと病名がついたばかりの不治の病・・・。通常は、壮絶に苦しみぬいたあげくに2年以内に100%死亡する、という恐ろしい病気だった。 両親は、医師にすがりつくが、治療法はないという。息子を救うため、両親の、想像を絶する看病と、治療法の開発のための勉強が始まった・・・。

<感想>
なによりも、両親の子供を思う、盲目的なまでに献身的な愛に言葉を失う。ハイソサエティな夫婦ではあったにしろ、普通の銀行マンと専業主婦だ。
図書館に通いつめ、医師も驚く推論を導き出し、
医師が動かなければ、自力で工場と交渉する。この執念の凄み。観ていて気迫に息が詰まるほどだたった。
そして、医療の現実の難しさ。親は、1%の確率でも、助かるかもしれないのならそれに賭けたい。
医療は、法律と結びついているため、「かもしれない」では動けないところもあるのが現実だ。
そして、採算の問題・・・。稀な難病であればあるほど、研究にさく時間も費用も、捻出するのが難しくなる。
医者が、「この病気で死ぬ子より、フライドポテトを喉に詰まらせて死ぬ子のほうが多いんですよ?」
と無神経な言葉を投げつける・・・。

家族会の代表との対立も、複雑なものがあった。
悲しみをわかちあってつらいのは自分たち夫婦だけじゃないことを慰めあうのが目的の家族の会。
治療法を探そうと血眼の両親に、「息子さんは延命を望んでいるかしら?」と言い放つ会長。
だが---正直なところ、幼い子供が悶絶し絶叫する姿には、ああ、いっそ苦しむ時間を一日でも縮めてあげたい・・・生かしておきたいというのは、親のエゴと違うのだろうか・・・と、同じ年頃の子供を持つ私は辛くなってしまった・・・。
「我慢できなくなったら、イエスさまのところにいってもいいのよ・・・」と初めて母がもらすシーンには、いたたまれない気持ちになった。

だが---奇蹟ではなく、両親の壮絶な努力は実を結ぶ。病気の進行を食い止める「オイル」の開発に成功するのだ。そして、次なる両親の目標は、『回復』。病気によって破壊された組織ミエリンを、どう復活させるか・・・そこで映画は終わる。
そのとき、2年しか生きられないはずのロレンツォは12歳、つまり闘病6年目に入っていた。


やはり、気になるので、いろいろ調べてみた。
夫妻の設立した協会http://www.myelin.org/
(ミエリンの研究)英語サイトだが、
ここの、「About Lorenzo & his Parents」を
見ると、なんと、発症から20年後、成人しているロレンツォの写真がある。首を自力で動かせるようになり、意志の伝達はコンピュータを使って可能なように研究中のようだ。
2000年に、肺癌のため、ご母堂ミケーラさんは亡くなったそうだ。だが、父オドーネ氏はその後、医学に専念し、現在もミエリンの研究に没頭しておられるという。

他のサイトで調べたところ、現在では他の治療法もいろいろ開発中らしい。夫妻の熱意が、国や医療機関を動かしたということだ。

この「ロレンツォのオイル」の効果については、現在も国際的な調査・評価が行われている最中だということです。

『リトル・ダンサー』2000年・英
【Billy Elliot】

監督:スティーヴン・ダルドリー
脚本:リー・ホール

男優:ジェイミー・ベル(ビリー) 
   ゲアリー・ルイス(パパ)
   イミー・ドラヴェン(兄)
女優:ジュリー・ウォルターズ (ウィルキンソン先生) ジーン・ヘイウッド(祖母)


1984年、イングランド北東部ダラム州の炭坑街。ビリーは炭坑労働者のパパと兄と、ボケた祖母と暮らす11歳の少年。だが、組合はストの真っ最中で父も兄も失業中。父は息子にタフになってほしいとボクシングをなけなしの金で習わせていたが、とあるきっかけで、同じフロアに移動してきたバレエ教室で垣間見た「踊り」に、ビリーは次第に心奪われてゆく。田舎街のことだ。男がバレエをするなんて、聞いた事もないと父にも兄にも激しく叱咤されるのだが・・・・・。
<感想>
ただのサクセスストーリーと思ってはいけない。
この映画の見所は、父の息子を思う愛情の深さだ。
息子の才能を伸ばすためならばと、資金を稼ぐために、あれほど非難していたスト破りに、自らなろうとまでする。男のプライドと、父親としての責任に揺れ動く父の姿。炭坑は、もう時代から去ろうとしている。
未来のある末の息子に、なんとか道を切り開いて
やろうと、その願いは切ないほど。
当のビリーくん、踊りだしたらすごいが、普段は
優柔不断で、気が弱いくせいに粗野で、オーディションのシーンでは面接シーンでヒヤヒヤハラハラ(笑)

ラスト近く、やっと通いあった父と息子の
笑顔に、目頭が熱くなった。


脚本のリー・ホール氏は、彼自身、ホール自身、英国の戦後史で重要な意味を持つ1984年の炭坑ストの真っ只中で少年時代を送った一人。正確な時代描写が、作品をただの夢のようなサクセスストーリーではない、リアルな成長物語として成功させている。

登場人物1人1人の個性を、丁寧に、笑いを忘れずに
描く、この雰囲気、やっぱりイギリス映画はいい!
この後味の良さ、「シーズン・チケット」や「グリーン・フィンガーズ」と最近のイギリス映画にお気に入りがたくさんある私には、とても向いている作品だった。
『耳に残るは君の歌声』2000年米
【The Man Who Cried】

監督:サリー・ポッター
女優:クリスティーナ・リッチ
   ケイト・ブランシェット
男優:ジョニー・デップ
   ジョン・タトゥーロ
   オレグ・ヤンコフスキー

<ストーリー>
1927年、ロシア。ユダヤ人の幼い娘フィゲレ(小鳥ちゃんの意味)は父と祖母と暮らしていた。教会で賛美歌を独唱している父は娘に美声で子守歌を歌う愛情に溢れた優しい父・・・。だが、村は貧しく、ユダヤ人狩りの暴徒に怯えて暮らす日々。父は、単身渡米する。もちろん、稼いで家族を呼び寄せるつもりだった。だが---ある夜、暴徒が村を焼き払い、フィゲレは村の青年たちに託される。混乱の中、かろうじてロシアからの逃亡に成功するものの、乗せられたのは、アメリカではなく、英国行きの船だった・・・。「スージー」と教会の慈善団体に一方的に名前を与えられた彼女は、ユダヤ語も、本当の名も奪われ、固く心も口も閉ざす・・・。「英国人」として成長したスージーは、父を探す旅に出る決意をするが、まずは旅費を稼ぐため、パリに渡る。
その時、第二次世界大戦勃発1年前・・・彼女と、彼女をとりまく人々は、台頭するファシズムの暗雲に巻きこまれてゆくが・・・・
スージーは父と再会できるのであろうか。
そして、うつむいた彼女の心は、何によって輝きを取り戻すのだろうか・・・

<感想>
邦題の「耳に残るは君の歌声」は、ビゼーの代表オペラ「真珠採り」の中のメイン楽曲のアリアだ。
本作のテーマ曲となって切なく映像に彩りを添える。原題の「The Man Who Cried」は、「泣いた男」。サリー監督によれば、「20世紀は泣きたいようなことばかりの時代だった。声なき泣き声(移民や少数民族の)を代弁する作品を作りたかった」とインタビューで言っている。
この映画の核をなす4人の人物それぞれの悲しみ。
ロシア人であることを隠し女の武器のみを頼りにさすらう美人ダンサー、ローラ(ケイト・ブランシェット)。ロシア出身だがロシア語は知らず、イディッシュ(ユダヤ語)も話せることを隠さねばならず、英国人のふりをして生きざるをえないスージー(クリスティーナ・リッチ)。迫害に耐えながら家族を守って熱く生きる誇り高いジプシーの青年、チェイザー(ジョニー・デップ)。音楽の神のような美声を持ちながら、ファシズムに傾倒し汚れきった魂を持つイタリア出身のオペラ歌手、ダンテ(ジョン・タトゥーロ)。みんな1人でそっと泣いていた。
だが、スージーは強く、逞しくなってゆく。チェイザーによって、少女は愛と性に目覚め、ジプシーたちの音楽によって自らのアイデンティティを表現する姿に「自分」を見出してゆく。
この過程の演出がなかなか素晴らしいのだ。

そして、語らず瞳だけで演じるクリスティーナ・リッチと対照的に、偽ブロンドでかぐわしい色香と愛嬌たっぷりのお喋りをまきちらすケイト・ブランシェット。女の哀しさと弱さと逞しさを見事に体当たりで演じていて、拍手!
光があるから、クリスティーナ・リッチの黒髪と
黒く光る瞳と重い沈黙がひきたつのだ。
ジョニー・デップは「ショコラ」に引き続いてジプシーは2回目か。白馬を操る逞しいジプシーの青年、チェイザー役は、まさにハマり役。
2人が無言で愛をかわすシーンはとても印象的だった。そして、最後の一夜のあと、赤子のように眠るスージーを抱いて流すチェイザーの声なき涙・・。
あのシーンにハっと胸を突かれる人も多いに違いない。

1つ1つのシーンが、とても繊細に練られていて、
まさに美しい音楽と絵画のような映像美。
惜しむらくは、ラストシーンがやや尻切れ蜻蛉気味だったことか。
渡米してからが急展開すぎるのが原因だろうか。
歌ってもらった子守唄を、今度は自分が歌うというキメ技も、やや凡庸で惜しい。
あと1時間もしあっても、渡米以降をもっと丁寧に追ってほしかったようには思う。

だが、人物描写においても、美術的な面においても、実に、素晴らしい作品であった。

テーマはやはり「アイデンティティ」だろう。
主人公のそれが、確信に変った瞬間をラストシーンにもってきた監督の意図も、わからなくもない。
『バッファロー’66』 【Buffalo ’66】 1998年・米
監督・脚本・音楽・主演:ヴィンセント・ギャロ
俳優:ヴィンセント・ギャロ
   クリスティーナ・リッチ
   アンジェリカ・ヒューストン
   ベン・ギャザラ
   ケビン・コリーガン
   ロザンナ・アークエット
   ミッキー・ローク
   ジャン=マイケル・ヴィンセント

<ストーリー>
アメフトの掛け金が払えず、代償として別人の罪をかぶって服役していたビリー。やっとこさ出所して、故郷バッファローに帰ることになった。ところが、故郷の両親にはムショ暮らしだったことを隠しており、政府の仕事につき、遠くで恋女房とリッチに暮らしていたというホラ話をでっち上げていた。その上、母親との電話で”恋女房”を連れて帰ることを強要される。思いあまった彼は通りすがりの女レイラを拉致し、両親の前で自分の妻の役を演じるよう脅迫する。初めは怯えていたレイラだが・・・・。

1998年
ナショナルボードオブレビュー賞
最優秀助演女優賞:クリティーナ・リッチ

<感想>

クリスティーナ演じるレイラがしだいにビリーに惹かれていく過程、そして、女性に惚れられたことのないビリーが逆に彼女の
好意にどうしていいかわからず脅える様子が、ほろ苦くも、とても微笑ましい。
愛されたいと願っているのに、あまりにも臆病で、それゆえに乱暴な態度に出てしまう。レイラに触れられただけでビクビクし、頬にキスをされたら驚愕のあまり怒鳴りちらす。
普通の女性なら、愛想を尽かしそうな男だが、レイラには、ビリーのそういうところが魅力なのだ。
ホテルのベッドで、落っこちそうなほど端っこにちんまりと居心地悪そうに横たわるビリーがとても印象的。

あんなに冷たい両親なのに、ビリーはとことん、両親思いだ。
そんなところも、きっとレイラの心を打ったのだろう。
映画の半分以上が、ビリーの実家のシーン。
カット割りと、セリフの応酬が面白い。

臆病さから威張りちらし大声で怒鳴りまくるビリーに、ただひたすら黙って寄り添ってやるレイラ。 母性本能をくすぐるタイプのカワイイ男なのだ。

ラスト近く、緊張が走る。
人生を狂わせた犯人(明らかに逆恨みなのが余計に笑える)との
ご対面だ。
ここは、話してしまってはもったいないので、伏せておく。

臆病さが愛と手に入れ、命拾いの原因になるという展開が、なんとも面白いし、「リアル」だと思うのだ。
勇気こそが、愛や人生を切り開く鍵になるという物語が多いだろうから・・・。

ところで、レイラは珈琲でも紅茶でもなく、ホットココアが好きだ。衣装によって強調される豊かな乳房といい、甘いココアといい、なんとも彼女の母性的な魅力を象徴していて好感がもてた。

『プライベート・ライアン』
【Saving Private Ryan】  1998年米

監督:スティーブン・スピルバーグ
俳優: トム・ハンクス
    マット・デイモン
    エドワード・バーンズ
    トム・サイズモア
    バリー・ペッパー
    ジェレミー・デイビス
    ジョバンニ・リビージ

アカデミー賞:監督賞・撮影賞(ヤヌス・カミンスキー)・音響賞・音響効果賞

<ストーリー>
1944年6月6日、輸送船艇約4000隻・兵員約8万によって仏ノルマンディー半島に上陸作戦が開始された。
血の海と化したオマハビーチを辛うじて渡りきり上陸に成功したジョン・ミラー大尉(トム・ハンクス)にワシントンからある特命が下った。
それは「3人の兄を戦争で失ったジェームズ・ライアン二等兵(マット・デイモン)を、母親のために
戦場から生還させ、帰国させろ」というアメリカの威信をかけた命令だった・・。
ミラーは精鋭7人を引き連れ最前線に乗り込んでいくが・・・はたして、生死も居所も不明のライアン二等兵を探しだし、無事に連れ戻すことができるのだろうか・・・。

<感想>
この作品といえば、まずは冒頭約30分に及ぶノルマンディー上陸の凄まじさであろう。人間の尊厳のかけらも存在しない地獄絵図・・・。その残虐さと恐ろしさは、言葉では表現できない。
あくまでもヒロイズムを排した監督の意図が痛いほど伝わる。

だが、これはただ単に、「戦争はむごい」という反戦メッセージだけの作品ではない。

生死も居所も不明なたった1人の兵(Private)を、8人の精鋭兵を犠牲にしてでも、彼の母親のために帰国させろという、耳を疑うような命令。これは、先の戦争で五人兄弟をすべて戦死させ、アメリカの威信が揺らいだ過去をふまえ、今回はせめて1人は母親のもとに戻し、国家の威信にこれ以上、傷をつけまい、とするワシントンの「作戦」だった。

これこそが、あれこれ理由をつけて戦争をビジネスにするアメリカ国家に対するアイロニーに満ちた告発なのだ!

アメリカという国は、ほぼ唯一、戦争をふっかけておきながら、「自国が戦場になったことのない」国なのだ。ミサイルはワシントンに飛んで来ず、マシンガンの響きも、飛び散る内臓も血しぶきも、戦地にいる兵隊以外の国民は聞いたことも見たこともない。
この命令が出されたのは、穏やかに晴れて静かで安全なワシントン。訃報を知らせる文書を打つタイプライターの音だけが無機質に鳴り響いている。

この対比だ。

この理不尽な命令に、この世の地獄を見尽くしてきたミラー大尉は、黙々と従う。その理由は、彼の口からラスト近くになって語られることになる。
この任務を達成したら、堂々と故郷に戻れるような気がする-----なんという苦悶だろう。
洗っても決して清まることのない、兵の血と部下の血で染まった我が手を見つめるミラー大尉の姿に、やりきれない悲しみを感じずにはいられない。

さて、問題はラストシーンだ。
この、アーリントン墓地での「敬礼」と翻る星条 旗・・・。これを許せない、とする観客も多いのも、事実。
だが-----
年老いたライアンが、ミラーの遺言とミラー配下の兵達の犠牲という重すぎる十字架を背負って、どんな思いで長い人生を生きてきたか。
「有意義な人生」とは何だろう。ノーベル賞をとって世界の人々の役にたつ人間になること?
いや・・・「虫ケラのように殺されないこと」ではないだろうか。
墓前に手をついて泣かれて、ミラーの魂は救われるか?違うだろう。
万感の思いのこもったあの敬礼に、解説など、要らない。
もちろん、画面いっぱいの星条旗は監督の強烈な皮肉ととってよいだろう。そこには、アメリカ礼賛の意図など、微塵もない。

ユダヤ人であるスピルバーグ監督が、ドイツ・ナチス兵をとことん敵視して描くのは当然だ。
そもそも、戦争に「正義」など、ありえないのだから。








「クール・ドライ・プレイス」
【A Cool Dry Place】
1999年【米】
監督: ジョン・N・スミス
製作: ケイティ・ジェイコブス
ゲイル・マトラックス
脚本: マシュー・マクダフィー
俳優:ヴィンス・ボーン
   ジョーイ・ローレン・アダムス
   モニカ・ポッター
   ボビー・モート
   デボン・サワ

<ストーリー>
 ラッセルは若くて有能な弁護士。ある日突然、妻が幼い息子を置いて家を出て1年半、シングル・ファーザーとして子育てに奮闘してきた。けれど、仕事と“母”の両立は楽じゃない。やがてシカゴの一流法律事務所を首になり、カンザスの片田舎で弁護士として働き始めたラッセル。ようやく、地元に住む女性との間に恋が芽生え、バスケット・ボールのコーチをしながら新しい人生を歩み始めたとき、妻が息子に逢いたいとやってきた……!!そして、ダラスの一流法律事務所から誘いがかかる。

<感想>
天職と思い打ち込んでいた仕事。かつて愛していた妻。美しく優しく、理知的な恋人。かけがえのない生き甲斐でありながら、同時に重荷でもあるように感じる幼い息子。それらの間に、主人公ラスは揺れ動く・・。実に、リアルな描写だ。監督は3児の父であり、子育ての苦労も喜びも知っているから描けた、という。
産みの親より育ての親、を地でいっていて先が読めてしまうのだが、それでも目を離せないドラマだった。
ただ、気になるのは、結局最後まで、なぜ妻が家出をしたのかが、ハッキリしないことである。ラスに責任のない、単なる妻の我侭だけが、幼子を苦しめた原因となると、妻ケイトにまったく共感の余地がない。子供はオモチャじゃないのだ。
そのぶん、ベスの魅力がひきたっていたが。
ベス役のジョーイ・ローレン・アダムスのいい女っぷりと、子役のボビー・モートに100点(笑

あまり日本で話題に上らなかった理由は、やはり、
リアルすぎて、「物語」としての華に欠けるところだろうか。ジョン・N・スミス監督は、もともとドキュメンタリータッチな作風の人だからなぁ。
(ミシェル・ファイファー主演の『デンジャラス・マインド/卒業の日まで』など)


   


「ハムレット」

2002年10月23日
ハムレット (2000/米)
【Hamlet】

製作総指揮 ジェイソン・ブラム / ジョン・スロス

監督 マイケル・アルメレイダ
脚本 マイケル・アルメレイダ
原作 ウィリアム・シェイクスピア

美術 ギデオン・ポンテ
音楽 カーター・バーウェル
出演 :イーサン・ホーク / リーブ・シュライバー / ビル・マーレイ / サム・シェパード / カイル・マクラクラン / ダイアン・ベノーラ / ジュリア・スタイルズ / スティーブ・ザーン / デシェン・サーマン / ジェフリー・ライト / カール・ギアリー / ポーラ・マルコムソン / ローム・ニール / ポール・バーテル

<ストーリー>
2000年のニューヨークを舞台に替え、国を巨大企業に置き換えた現代版の『ハムレット』。
セリフは、すべてシェイクスピアそのままである。

<感想>
世間の評判は悪いようだが・・・これは大変な意欲作だ。セリフをいじってしまうような「現代版」は嫌いだ。(その点において、やや字幕が説明しすぎ・・・というか、英語が耳で全くとれない人には、???だったかもしれない・・・)
好き嫌いがハッキリわかれる映画だと思う。
キャスティングに、やや難ありか。
オフィーリアが美人でなく、品格がない。箱入り娘がダウンタウンで一人暮らしっていうのは無理があったか。ローゼン&ギルデンのコンビをどう描くかは、古来からシェイクスピア演出家の楽しみだと思うが、チンピラ色が強すぎ。
レイアティーズは普通は美形がやると思うんだけど(泣) 
逆に、ハマっていたのは、ホレイショー。誠実さがにじみ出ていた。ガートルード。下品さと、母親の哀しさのバランスが巧い。
そして、なんといっても、イーサン・ホークのハムレット! 揺れ動く心、狂気と覚醒のはざまの表情。蒼白な美形!ハムレットは悲しいまでに美しくなければいかんのだ。
かなり、セリフまわしに苦労したのが伺える。本来なら舞台で使うために練られたセリフだからだ。

しかし・・・衣装はいただけない。ほぼ全登場人物に関して。

でも、人間がいるかぎり、時代はかわっても過ちは繰り返される・・・その悲しさがこの作品にはこもっている。単なる実験的作品と評価するのは、惜しい。




「マルコムX」

2002年10月22日
『マルコムX 』(1992/米)
【Malcolm X】
製作 マービン・ワース / スパイク・リー
監督 スパイク・リー
原作 アレックス・ヘイリー

出演 :デンゼル・ワシントン / アンジェラ・バセット / アル・フリーマンJr. / アルバート・ホール / デルロイ・リンド / テレサ・ランドル / スパイク・リー

<ストーリー>
アメリカにおける黒人差別反対の運動家としてキング牧師と並び称されるマルコムXの生涯を描いた作品。
マルコム(デンゼル・ワシントン)は若き頃白人女性とつき合い、髪も白人風にストレートにし、麻薬や賭博、窃盗で儲けて暮らす日々。だが、投獄中にイスラム教に目覚める。出所後は黒人だけのイスラム教組織のドン、イライジャ師のために身を粉にして働くようになる。演説上手な彼は瞬く間に寺院の主張をアメリカ社会に知らしめ、同胞を増やしていくが、彼の持つ強烈なカリスマ性に、寺院内部も白人社会も、主張の異なる黒人社会も、危険を感じはじめる。四面楚歌の中、マルコムは信念のために、闘い続けるのだが・・・。

<感想>

マルコムXというと、強烈なカリスマ性を備え、激しく黒人至上主義を説いた人物、というイメージがあったのだが、この映画では、1人の人間としての成長、苦しみを前面に押し出して描いている。そこがこの作品が語り継がれる所以だろう。
3時間を越える作品だが、彼の思想や主張が、次第に変化していくのを、丁寧に追っているので、感情移入できるのだ。
紆余曲折の末、彼が見出した答とは。黒人社会の、真の病理とは。
白人を憎んでも事態は変わらない。それに気がついたときには、遅かった・・・。

監督の魂の訴えが心を打つ。語り継がれる真実を、余す事無く伝える事に成功を収めている。
前半、もう少しはしょったほうが、後半に集中できるかなぁ、という感はあり。

デンゼル・ワシントンは、実在の人物を演じるのは
これが初めてで、7年後に「ハリケーン」で、やはり黒人差別ゆえに罪無く投獄されたボクサーを演じている。
アンジェラ・バセットの演じる、妻の存在感はこの映画に重いリアリズムを添えるのに一役かっているのは間違い無い。


『ユージュアル・サスペクツ』 (1995/米)
【The Usual Suspects】
製作総指揮 ロバート・ジョーンズ / ハンス・ブロックマン / フランソワ・デュプラ / アート・ホーラン
製作 ブライアン・シンガー / マイケル・マクドネル
監督 ブライアン・シンガー
脚本 クリストファー・マックァリー


出演 :ガブリエル・バーン / スティーブン・ボールドウィン / ベニチオ・デル・トロ / ケビン・スペイシー / チャズ・パルミンテリ / ケビン・ポラック / ピート・ポスルスウェイト / スージー・エイミス / ダン・ヘダヤ / ジャンカルロ・エスポジト

<ストーリー>
停泊中の貨物船が爆発炎上、多数の死者が出た。この事件を調べていたFBI捜査官は、保釈直前の詐欺師ヴァーバル(ケヴィン・スペイシー:アカデミー助演男優賞)を尋問する。彼の供述によって、裏社会の強者たちが謎の男“カイザー・ソゼ”に追いつめられていった様子がしだいに明らかになっていくのだが・・・。 アカデミー賞オリジナル脚本賞を受賞した傑作サスペンス!

<感想>
ネタバレなしに語るのはとても難しいですね。
犯罪サスペンスとしては、一流のできでしょう。
小説じゃ無理。そこが、アカデミーでオリジナル脚本賞がとれた所以でしょうか。カメラワークに拍手。

ただ・・・ケヴィンほどの名優を、そーそー小さな役には持ってこないだろうというつまらん予測が的中してしまい(苦笑

キートン役を、ケヴィンに匹敵するだけの俳優にキャスティングすれば、面白さは10倍上がったかも。


「オー・ブラザー」

2002年10月18日
オー・ブラザー! (2000/米)
O Brother, Where Art Thou?
製作 イーサン・コーエン
監督 ジョエル・コーエン
脚本 コーエン兄弟

俳優:ジョージ・クルーニー / ジョン・タトゥーロ / ティム・ブレイク・ネルソン / ホリー・ハンター / ジョン・グッドマン / チャールズ・ダーニング / クリス・トーマス・キング

<ストーリー>
1930年代、アメリカ南部で鎖につながれた3人の囚人が脱走に成功。途中、ノロノロと走るトロッコをヒッチハイクすると、運転していた盲目の爺さんが予言した。「おまえたちは宝探しの旅にでる。やっとの思いで宝も手にする。しかし、その宝は、おまえたちの求めていた宝とは違うであろう…(中略)
小屋の上に雌牛を見るだろう・・・」さて、ダム建設予定地に埋めておいた巨額のお宝目指して、珍道中。
詩人ホーマー(ホメイロス)の「「The Oddyssey (オディッセイ)」を原案としている。

<感想>
わ・・わらしべ長者!?(爆笑)コーエン兄弟らしぃ、ブラックな笑いがたまりません。好き嫌いは激しく分かれるところだと思いますが。ツボに入りました。ジョージ・クルーニーが真顔でコメディーというのも絶妙なキャスティング!
KKK(クー・クラックス・クラン)までお笑いにしてしまう強烈なブラックさ、命知らずですな。あくまでも個人の感想として、ダイスキです。

この映画、笑えなかった人でも、「なんだか気持ちよかった」「心地いい感じ?」という評をよく耳にします。まったりとして陽気なカントリー音楽のおかげでしょうか(笑)


バガー・ヴァンスの伝説 (2000/米)
The Legend of Bagger Vance
製作総指揮 スティーブン・スピルバーグ / カレン・テンコフ

監督 ロバート・レッドフォード

原作 スティーブン・プレスフィールド

音楽 レイチェル・ポートマン
出演 :ウィル・スミス
    マット・デイモン
    シャーリズ・セロン

<ストーリー>
大恐慌のアメリカ南部。父から巨大なゴルフリゾートを受け継いだ娘アデールは、遺志を継ぎ、なんとかゴルフ場を手放さずに済む方法はないかと考え、世界的に有名なゴルファーを迎えてトーナメントを開催することを思い付く。だが、町の総意を得るためには、かつての恋人である地元出身の有名ゴルファー、ジュナの参加が条件、とされる。そのジュナ(マット・デイモン)は、戦地での悲惨な体験から、ゴルフどころか人生すら放棄していた。
そこへ、謎の男、バガー・ヴァンス(ウィル・スミス)が現れ、キャディーに雇ってくれ、と言い出す・・・。
かつてジュナを慕う少年だった老人の回想録として
語られるという手法で描かれている。

<感想>
ストーリーは単純明解。自信を失ったジュナが立ち直るまでのストーリーだ。
だが、その鍵となる、素性も何もサッパリ謎の男、
バガー・ヴァンスから目が離せない。彼の声と言葉が、美しい自然の中で響き渡り、不思議と魅了される。
ただ、戦争でズタズタになった心が立ち直る重要なシーンでの、バガーのセリフに、説得力がもうひとつ、足りない。
人間は、他者からの助言で、ああも簡単に10年の空白が埋まるほど単純か・・?
ゴルフも、特殊な技もとくになく、「集中力」の高さ=緊張感だけで試合が運ぶので、根っからのゴルフファンには、やや評判が悪いようだ。

だが、ゴルフを人生にたとえて語るバガーを主役ととるならば、「何かを見出すには、無心になって自然と一体化すること」これを伝えるのは、技巧に凝ったゴルフよりも、『狙いを定めて見据える』力を競う、あの描き方でよかったのではないかとも思う。


「ファーゴ」

2002年10月16日
ファーゴ (1996/米)
【Fargo】

製作 イーサン・コーエン
監督 ジョエル・コーエン
脚本 コーエン兄弟

出演 :フランシス・マクドーマンド / スティーブ・ブシェーミ / ウィリアム・H・メイシー / ピーター・ストーメア / ハーブ・プレスネル
☆警官役のフランシス・マクドーマンドがアカデミー賞主演女優賞を獲得

<ストーリー>
自動車のセールスマンであるジェリー(ウィリアム・H・メイシー)は多額の借金を負い、大金を必要としていた。そこで思い立ったのが妻の偽装誘拐。ムショ仮釈放中の従業員に紹介してもらったワル2人組カール(スティーブ・ブシェーミ)とグリムスラッド(ピーター・ストーメア)に交渉をしにノースダコタ州のファーゴへと向かったジェリー。
契約は成立するが、事態はとんでもない方向へと暴走しはじめる・・・・・。

<感想>
実話だそうです。コーエン兄弟にかかると、普通に考えれば、背筋の凍る凶悪連続殺人事件も、ブラックコメディーになってしまう。キャスティングが絶妙で、ウィリアム・メイシーの感情剥き出しのチンパンジーそっくりの顔と、ピーター・ストーメアの病的に感情の欠陥した薄気味悪い表情だけでも、笑えてしかも、怖い。

だが、この映画、ただのブラックコメディーととるには惜しい。
どこまでも寒く白い景色。吐息の白さ。飛び散る鮮血。普通の「サスペンス」にはあり得ない、『人間の体温』が全篇を覆っているように感じる。ここが
この映画が語り継がれる理由なのか?
他の監督が同じ「実話」を映画化しても、寒々とした凄惨な物語になってしまうだろう。不思議だ。



エニィ・ギブン・サンデー
【ANY GIVEN SUNDAY】1999米
監督:オリヴァー・ストーン
俳優:アル・パチーノ、キャメロン・ディアス

<ストーリー>
亡父の跡を継ぎ、フットボール・チーム’マイアミ・シャークス’のオーナーとなった
一人娘、クリスティーナ(キャメロン・ディアス)。スポーツをビジネスとしか考えてない彼女の一番の敵は、勇猛果敢なたたき上げ
のヘッド・コーチ、トニー(アル・パチーノ)であり、ふたりは常に真っ向から対立していた。
あるとき、遂にクリスティーナの口から出たトニーへの最後通告。
傲慢なオーナーと熱血コーチとの激しいバトルが開始された・・・。

<感想>
ストーリーは、よくありそうなもの?と思うかもしれない。負傷した古株の苦しみ。思いあがった新人選手についてゆけないチームメイト・・・。
だが、これはスポ根ものではない(と私は思う)。
アメフトのスポ根を語るなら、「タイタンズを忘れない」をご覧になるといいだろう。高校生だから、
「カネ」がからまない。
この作品は、プロアメフトチームである。莫大なカネが動くのだ。「勝ち負けだけがアメフトじゃない」は、オーナーには通用しない。

だが、この作品で、冷徹で傲慢なお金持ちの礼嬢、
であるはずのクリスティーナが、意外なほど、「悪人」に描かれていない。ここに不服だった人も多かったようだ。
だが、彼女は金もうけが楽しくてやっているのではないことは、見ていくうちにわかってくる。
そこが、やはりこの映画のポイントであり、あの、
オリバー・ストーン監督だろうと思うのだ。
彼女は何故半ば憎んですらいた父の跡を継いだ?そして、固く閉じた氷の心を解かすのは、何なのか。
この映画は、とにかく、「アツい」!
オリバー・ストーン監督独特のカメラワークで撮られたアメフトの試合は、生死を賭けた戦場そのもの。
『無駄に生きるな 熱く死ぬんだ。それがフットボールだ。』 ラスト近くのトニーの熱弁に、醒めた日常を送っている人は、魂を揺さぶられるかもしれない。

『ボーン・コレクター』
1999年米
監督:フィリップ・ノイス
原作:ジェフリー・ディーヴァー

男優:デンゼル・ワシントン
女優:アンジェリーナ・ジョリー
   クイーン・ラティファ

<ストーリー>
すぐには殺さない・・・。骨が見えるまで体の一部をえぐり、なぶり殺す連続猟奇殺人事件。犯人の意図は何なのか? 
悪魔の巧妙さで“死のゲーム”を仕掛けた殺人鬼に挑むのは、ズバ抜けた鑑識能力を持つ科学捜査のエキスパート,リンカーン・ライム。
そして、事故で手足の自由を奪われベッドから動けない彼に代わって凄惨な犯行現場に赴くうちに、天才的な嗅覚を発揮し始めるパトロール警官アメリア。

二人の緊迫した駆け引きによる現場検証、様々なハイテク機器を駆使した物的証拠の分析は、やがて、
捜査線上に1900年代に書かれた忌まわしい小説を浮かび上げる…。

<感想>
サスペンス・スリラーとしても一流だが、「生き方」「生きる意味」についての深い思想も堪能できる。『運命は切り開くものだ』言葉にしてしまうと、簡単でシンプルかもしれないが、その言葉によって変わっていくアメリアの演技は、観ている側にまで、勇気をもたらす。
デンゼル・ワシントンが優れた俳優であるのは言うまでもないが、動かせるのは、指1本と、頭をわずかのみ。表情、汗、声、セリフだけで複雑な心理を
演じなければならない。そのぶん、観客も、共演者も、デンゼル演じるリンカーンに耳も目も、かなり集中することになる。
看護婦役のセルマの存在感もよかった。


「秋菊の物語」

2002年10月11日
秋菊の物語 (1992/中国=香港)
【The Story of Qiu Ju】


監督 チャン・イーモウ

出演 コン・リー / レイ・ラオション / コオ・チーチュン / リュウ・ペイチー

<ストーリー>
中国北部の農村を舞台に、村長に夫の股間を蹴られ怪我をさせられた妻、秋菊が、赤ん坊を身ごもった体で、その行為の謝罪を求めるために郡から県へ、そして市へと赴き、裁判まで起こす。やがて、陣痛が始まり大変な難産となるが、時は大晦日、村には村長以外、誰も残っていなかった・・・・。

<感想>
イーモウ監督らしぃ作品です。一途さ、これですよ。
中国が、子供の数を制限しはじめた頃のことです。
初めての子供を身ごもった秋菊にとって、夫が性的不能になるかもしれないということは、ただごとではない。この辺の事情がわからないと、一途を通り越して、「執念深い女」という評価になってしまう。
ただ、4人子供をつくっても、1人も男児が誕生せず、もうこれ以上は政府が許可してくれないという、当時の中国の農民であれば、それがどれだけ大変なことかわかっていて、「後継ぎもいないくせに!」と村長を罵った亭主の過ちにまったく触れずに「村長が夫の股間を蹴った」と、可笑しくなるほど繰り返し言い続けるあたり、結局は、ガンコものどうしの喧嘩じゃないかという気もしますが。
そして、一冬、旅でああして家を空けて、残された家族のことはいいのか、という気も・・・。
夫への愛からの怒りなら、看病や、丈夫な子を産むために家にいるんでしょうけど・・・。

でも、この映画の本質は、ひとつの些細な行為から、結果を執拗に追い求める姿を通して、一人の女性の自立を描く、そこなんでしょうね。

この映画でも、コン・リーは素晴らしく逞しい農婦を演じていて見事だった。ラストシーンの戸惑いと悲しみの表情、印象に残りました。


「天と地」

2002年10月9日
天と地
[Heaven & Earth]
1993年【米】 監督 :オリバー・ストーン
男優 :トミー・リー・ジョーンズ
:ハイン・S・ニョール
女優 :ジョアン・チェン
:デビー・レイノルズ
:スーザン・アンスパッチ
音楽:喜太郎

<ストーリー>
レ・リー・ヘイスリップの自伝をもととした、オリバー・ストーン監督のいわゆる「ベトナム三部作」の最後の作品。

仏の教えにしたがって平和に暮らすベトナムの農村の娘、レ・リー。
ベトナム戦争が勃発、兄たちはベトコンとなるが、彼女は身に覚えのない二重スパイ容疑をかけられ、拷問され、村を追われる。どんな状況下でも、
逞しく子供を守り生き抜いていゆくレ・リーの半生を描いた大作。

<感想>
「プラトーン」では、憧れて戦地に赴いた自らの経験を、「7月4日に生まれて」では、負傷帰還兵の視点から、「天と地」では、戦争に翻弄されるベトナム人の1人の女性の視点から、『ベトナム戦争』
を描いた。

北部と南部に家族を引き裂かれ、祖国ベトナムと、結婚相手の国であり敵国でもあるアメリカに、心を引き裂かれ、苦しみつつ生きるレ・リーの人生は凄まじくも悲しい。
だが、彼女はそれを、「天と地の間にうまれた私たちの運命」と悟ってゆく。
運命に逆らってはならぬ・・・仏教の教えに彼女は救いを見出していく。それは、「諦め」とは異なるものであることは、映画を見ればわかるだろう。

彼女の夫も、ベトナムの悪夢に苛まれ心を壊してゆく。
トミー・リー・ジョーンズの、温厚さの中に見え隠れする恐怖と狂気の演技は壮絶だった。

愛国心から、自国の傲慢さを描くことをやめない
オリバー・ストーン監督には、敬服するばかりだ。


『トレーニング・デイ』
[Training Day]
監督:アントニー・フュークワー
2001年【米】 男優 :デンゼル・ワシントン
          :イーサン・ホーク

<ストーリー>
麻薬捜査担当として数々の手柄を上げ、犯罪者たちに恐れられるベテラン名刑事アロンゾ
(デンゼル・ワシントン)。憧れのアロンゾと組むこととなり、自分の能力を示そうと躍起
になる新人ジェイク(イーサン・ホーク)。その最初の日(トレーニングデイ)、ジェイクは、正義と汚職の
境界線をいとも簡単に踏み越えるアロンゾの姿を目の当たりにする。
彼は命の危険を顧みずおとり捜査を決行するヒーローなのか。それとも腐敗した悪徳警官なのか。

<感想>

公式サイトの宣伝文句に、「彼(新人警官ジェイク)とあなたの正義が試される」とあったが、まさにその通り。アロンゾのあまりにカリスマ性に、翻弄されて、ジェイクと一緒に悩んでしまった。

ツケがきたというか、ヤキがまわったというかだが、「あれ」で、犯罪都市LAの麻薬事情は変わるのか・・? 今ひとつ、後味が悪いのはそこなんだろう。
かつては正義感に溢れていたというのは、本当なのだろか・・・次から次へと裏をかく行動に出るアロンゾなだけに、終わってみると、せめて信じたいそのセリフすら、ぼやけて聞こえる。

そして、「正義」とは結局何なのだ?
法律にのっとって正しい手順で逮捕した売人が心神喪失のフリをしてうまくムショを逃れたというあのくだりに、揺れた。
勿論、己の保身が目的だとわかってしまってからの展開は観客はジェイクよりの心情になるのだが、
この映画の凄いところは、相対する2人の信念が、
強烈な説得力を持っているからだろう。

ジェイクは、あの後、どうするのだろう。交通課に戻って小さくとも正しい正義と向き合う日々に戻るか?
あれは、何のトレーニングだっただろう。闇を知るトレーニング。闇を知った人間が、元に戻れるだろうか。
十数年後に、ジェイクも歪んでいくのではないか、と感じた観客も多いかもしれない・・・・・。

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